日本大百科全書(ニッポニカ) 「一木権兵衛」の意味・わかりやすい解説
一木権兵衛
いちきごんべえ
(?―1679)
江戸前期の土木家。名は政利(まさとし)。土佐国土佐郡布師田(ぬのしだ)村(高知市)に住した一領具足の子孫で、布師田につくった用水路が野中兼山(のなかけんざん)に認められ郷士(ごうし)となる。以後土木事業に従い普請奉行(ふしんぶぎょう)に任ぜられ、吾川(あがわ)郡弘岡(ひろおか)井筋行当切抜(ゆすじゆきとうきりぬき)の工事で手腕を発揮する。1661年(寛文1)安芸(あき)郡室戸(むろと)港(津呂(つろ)港)を開削、77年(延宝5)から79年にかけて、その西方に新たな室戸港(室津(むろつ)港)の掘削を完成。莫大(ばくだい)な費用を要する難事業で、決死の権兵衛は工事終了後、延宝(えんぽう)7年6月17日夜、鎧冑(よろいかぶと)、太刀(たち)を海神に献じ、未明に人柱となり自刃した。法名覚岩院常誉(かくがんいんじょうよ)居士。津照(しんしょう)寺に葬る。維新後、墓石を埋め、一木神社が建立された。
[山本 大]