朝日日本歴史人物事典 「一条経嗣」の解説
一条経嗣
生年:延文3/正平13(1358)
南北朝・室町時代の公卿,学者。成恩寺と号す。実父は二条良基で,一条経通の子房経が早世したために経通の養嗣子となる。貞治6/正平22(1367)年に元服,叙爵,応安1/正平23(1368)年従三位,応安3/建徳1年に権中納言,応安7/文中3年に権大納言,嘉慶2/元中5(1388)年に内大臣,明徳2/元中8(1391)年に従一位,左大臣となり,応永1(1394)年から同5年,同6年から同15年,同17年から同25年に没するまで3回関白・氏長者を務め,同22年には准三宮に叙せられ,当時「公家の鏡,天下の重臣」といわれた。関白在任時には室町幕府将軍足利義満に追従し,義満の妻日野康子を後小松天皇の准母に推挙し,『北山院御入内記』『相国寺塔供養記』『北山殿行幸記』などを著した。和漢の学問にすぐれ,その才能は子兼良に受け継がれた。日記に『荒暦』(1381~1415)がある。
(伊東正子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報