七戸城(読み)しちのへじょう

日本の城がわかる事典 「七戸城」の解説

しちのへじょう【七戸城】

青森県上北郡七戸町にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。南部氏の一族の七戸氏の居城だった城である。往時の曲輪(くるわ)、土塁、水濠、空堀などが現存している。七戸城は独立した複数の郭が集まった群郭式の城で、北館、本城本丸と二の丸)、下館、西館、角館、宝泉館、南外郭、西外郭、貝ノ口郭、北西外郭などで構成されており、現在の柏葉公園一帯に本丸(本城)があったが、発掘調査などから城の中心は、その本城ではなく北館であることがわかってきた。七戸城の起源は、南北朝時代に北畠氏の家臣だった工藤右近将監が蝦夷館を修築して建設した居館といわれる。その後、1393年(明徳4年)に、根城南部氏(八戸氏、後の遠野南部氏)の第8代南部(八戸)政光が七戸に隠居し、その子・政慶が七戸氏を名乗り居城とした。その後、歴代の七戸氏の当主の居城となったが、1591年(天正19)の九戸政実(くのへまさざね)の乱で、七戸氏は九戸氏に荷担したため、豊臣秀吉の奥州仕置の軍勢に攻められて滅亡した。江戸時代に入り、城内に南部藩(盛岡藩)の代官所が置かれ、5代藩主南部行信の弟が5000石を分与されて、この城を居館とした。この分家はのちに1万1000石の新田藩(盛岡藩の支藩)となる。1871年(明治4)に廃城となり、翌72年に城の建物を利用して七戸小学校が開校した。1970年(昭和45)に七戸小学校が移転後、跡地が柏葉公園として整備された。青い森鉄道線三沢駅からバス約50分で七戸案内所下車後、徒歩。または同駅からタクシーで約20分。◇柏葉城、七戸陣屋とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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