七美庄(読み)しつみのしよう

日本歴史地名大系 「七美庄」の解説

七美庄
しつみのしよう

古代の七美郡七美郷(和名抄)の郷域に成立したと思われる庄園。庄域は現村岡町中央部、湯舟ゆぶね川中流域および同川支流谷入たにいり川の流域と推定される。のちに当庄は領家方三分の二、地頭方三分の一に下地中分され、この下地中分は嘉元二年(一三〇四)に停止されるものの、南北朝期には再び上方下方に分れている。戦国期以降になると七美庄一分いちぶ方・同二分にぶ方、あるいは同一二分いちにぶ庄という呼称が散見する。近世に入ってからではあるが、慶長六年(一六〇一)の山名豊国所領目録(池田家文書)では市原いちばら耀山かかやま高井たかい寺河内てらがわうちの四ヵ村が一分庄、板仕野いたしの・わちかひ(のちの萩山)神坂かんざか相田あいだ鹿田しかだ用野ようの黒野くろの(のちの村岡)福西ふくにし大糠おおぬかの九ヵ村を二分庄としている。あるいは当庄の地頭(三分の一)がのちに一分庄、領家方(三分の二)が二分庄とよばれるようになったものか。また上方・下方では上方に含まれる萩山はぎやま名の遺称地を現萩山とみて、谷入川の流域を上方とみる説がある。ただし萩山村前述のように古くは「わちかひ」村と称していたとも考えられ、上方・下方がどのように区分されていたか、上方・下方と一分庄・二分庄との対応関係など不明な点も多い。

文応元年(一二六〇)一二月日の七美庄名主職安堵状(妙心寺文書、以下断りのない限り同文書)に「七美庄」とみえ、当庄国正名の名主職が、本名主宝蓮入道の死去に伴って嫡孫の多紀末利に安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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