万場町(読み)まんばまち

日本歴史地名大系 「万場町」の解説

万場町
まんばまち

面積:六二・一一平方キロ

多野郡のほぼ中央部に位置し、東は鬼石おにし町、北は藤岡市、西は中里なかざと村、南は埼玉県秩父ちちぶ吉田よしだ町・小鹿野おがの町と接する。神流かんな川が南流する船子ふなこ川・塩沢しおざわ川などを合して中央部を東流し、川沿いを県道鬼石中里線が通る。中央部は標高約三四〇メートルであるが、北部には東から東御荷鉾ひがしみかぼ(一二四六メートル)・西御荷鉾山(一二八六・二メートル)赤久縄あかぐな(一五二二・三メートル)、南部には父不見ててみえず(一〇六五・七メートル)などがそびえ、標高一〇〇〇メートル以上の山地に囲まれる。

万場町
ばんばちよう

[現在地名]新庄市万場町

よこ町から直角に北折し、北端で西に折れて吉川よしかわ町に続く。古くはなが町とよんだ。万の店が軒を並べているため万場町とされたという。東に並行する通りが常葉ときは丁で、当町の北端から東の円満えんまん寺へ向かう通りが中山なかやま町。延享三年(一七四六)の家数六四、宝暦一一年(一七六一)の家数八三、天明八年(一七八八)の家数一一四・人数四八二、馬一四、天保九年(一八三八)の家数九〇・人数三八三、馬九(新庄城下町の研究)。「新庄寿永軒見聞集」によれば、穀物・野菜・果物・菓子を商う店が軒を並べ、酒・酢・醤油屋なども多く、近郷から買物に来る者が多い。またこの町で織られる織物名品であるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報