万州(読み)ばんしゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「万州」の意味・わかりやすい解説

万州
ばんしゅう / ワンチョウ

中国、重慶(じゅうけい)市の市轄区。揚子江(ようすこう)(長江(ちょうこう))北岸に位置する。人口176万0500(2016)。旧称は万県。1950年、万県の県城地区を分離して万県市が設けられた。1997年重慶が中央直轄市になるとき、四川(しせん)省から分離し、重慶に編入され、万県区となり、1998年に万州区と改称した。

 古来「省門」といわれ、東から四川に入る水陸交通の要地で、1902年の清英(しんえい)条約により1917年税関が置かれて開港場となった。いまも揚子江水運、成都(せいと)や湖北(こほく)省への自動車道を通じて、特産品の桐油(きりゆ)などの物資集散地である。なお、1926年、排英運動に対してイギリス軍艦が砲撃した万県事件の地でもある。三峡(さんきょう)ダムの建設により、旧市街の半分近くが水没した。

[小野菊雄・編集部 2019年3月20日]

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百科事典マイペディア 「万州」の意味・わかりやすい解説

万州【ばんしゅう】

中国南西部の直轄市重慶市の一地区。旧名万県。従来,四川省東部,長江三峡巫峡から瞿塘峡にかけての川沿いに細長く続く都市で,かつては四川省第3の都市だったが,下流湖北省宜昌市付近の三峡ダム建設で,市域のかなりの部分が水没する(下流の大昌鎮は町ごと水没)ため,1996年秋に重慶市に統合された。ダム建設の構想発表以来,新たな投資が控えられ,発展にブレーキがかかっている。古来,長江沿いの重要な河港都市として発展し,四川省東部と貴州省北部の物資を集散,特に桐油市場として著名。1902年の英清通商条約により1917年開港。1926年には排英運動のため英国砲艦の砲撃をうける万県事件が起こった。175万人(2014)。
→関連項目重慶

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世界大百科事典(旧版)内の万州の言及

【万県】より

…四川省東部の重要港。三国の蜀代に南浦県,唐代には万州がおかれ,明代に万県となった。東の三峡をへ,湖北にはいる交通の要所にあり,古来,重慶,宜賓(ぎひん)への中継点として発展,1902年(光緒28)にはイギリスとの条約により,17年外国貿易港として開かれ,近県および貴州北部で産出される桐油を中心に,皮革,漆などが取引された。…

※「万州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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