中国の重慶市と湖北省の境界をなす巫山を長江(揚子江)が浸食して形成した大峡谷。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までで全長196km。その間が瞿唐(くとう)峡,巫(ぶ)峡,西陵峡の三つの峡谷に大別されることから,三峡と呼ばれる。山地の上昇運動に先行して下方浸食が営まれたことにより形成された。その中心部は花崗岩であるが,長江の流れが石灰岩層を貫くところでは両岸が迫り,川幅が100mに満たない地点もあり,断崖絶壁をなして水面から崖の上まで500mをこえる。また砂岩層のところでは,谷は広いが水深が浅く,航行は危険である。三峡の景観は古くから注目され,北魏の道元は《水経注》において〈三峡七百里の中,両岸,山を連ね,略闕くる処なし。重岩迭嶂,天を隠し日を蔽う〉と述べている。この奇観は白居易など多くの詩人によってうたわれた。三峡沿いには数多くの名勝古跡があるが,三国時代,劉備の蜀が孫権の呉に備えた軍事上の要地白帝城は著名である。
かつて孫文が提唱し,その後繰り返し建設の是非が論議されてきた三峡ダムの建設が1993年から国家プロジェクトとして始まり,97年秋には宜昌市三斗坪のダム建設地点で長江の本流がせき止められ,2009年の完成をめざしてダム本体の工事が進められている。ダムは完成すると高さ185m,堰堤の幅は2309mで,貯水量は393億t。ダム湖の長さは約600kmで,重慶市まで達する。ダムには26基の発電機が設置され,発電量は1820kWに達し,年間5000万tの石炭の節約になるという。また水位が平均45m上昇して,1万トン級の船が重慶まで航行が可能となり,洪水の調節や華北地方に供水する〈南水北調〉計画も実行できる。しかし堆砂の問題や生態保護の問題に加え,水位の上昇によって水没する地域では113万人の住民が立ち退きを余儀なくされ,文化遺跡の保存も問題となっている。
執筆者:林 和生
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中国、長江(ちょうこう)(揚子江(ようすこう))上流部にある大峡谷。四川(しせん)省東部の奉節(ほうせつ)県白帝城から湖北(こほく)省西部の宜昌(ぎしょう)市南津関まで、全長204キロメートルにわたる。奇岩、怪岩、巨峰が連なる景勝地で、上流から瞿塘(くとう)峡、巫(ふ)峡、西陵(せいりょう)峡の3峡谷に分かれる。長江が大巴(だいは)山脈、大婁(だいろう)山脈、八面(はちめん)山脈などの石灰岩山地を刻んだ峡谷で、両岸は絶壁をなし河流は急で暗礁が多いため、古くから長江水運の難所。現在では河道が整備され定期船が就航し、「三峡下り」の名で内外の観光客を集める。物資の輸送路として貨物船、曳船(ひきふね)の航行も多い。瞿塘峡の白帝城、巫峡の巫山十二峰、西陵峡の牛肝馬肺(ぎゅうかんばはい)・兵書宝剣などの名勝がある。2009年、宜昌上流の三斗坪(さんとうへい)に三峡ダムが完成し、万州(ばんしゅう)より下流の三峡の大部分は水面下に没した。
[青木千枝子・河野通博]
中国中部、四川(しせん/スーチョワン)・湖北(こほく/フーペイ)両省の揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン)流域に、1986年新設される予定であった省名。同年設置は延期となった。
[編集部]
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