重慶(読み)ジュウケイ

百科事典マイペディアの解説

重慶【じゅうけい】

中国南西部の直轄市。従来は四川省南東部の都市であったが,1997年直轄市に移行。中国南西部の経済,文化,交通の中心地。旧名巴県,渝州(ゆしゅう)。長江嘉陵江の合流点に臨み,空港をもち,成渝鉄路(成都〜重慶)の起点をなす。古来四川盆地の要地で,1000トン級の汽船がさかのぼれる。1891年開港,長江上流の商業都市として発展。日中戦争中,国民政府がここに遷都(1938年―1945年)して以来人口が激増,市域は急激に拡張した。機械,鉄鋼,紡績,セメント,電力,自動車組立てなどの工業が発展している。また白沙沱で長江を横断する長江大橋が1959年に完成。重慶大学,重慶工業学院などがある。夏に酷暑となるため,武漢,南京とともに三大火炉(ストーブ)と呼ばれている。直轄市になる以前に市街区の人口は549万5300人。1996年秋に近隣の万州市,黔江(けんこう)地区などを吸収する形で人口3000万人の〈大重慶市〉に移行,1997年春には第4番目の直轄市となったが,これは三峡ダム建設に伴う住民移住とも関連している。郊外の県を含む人口3343万人(2014)。
→関連項目四川[省]下関条約徐州作戦大足石刻李徳全

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

重慶 ちょうけい

?-? 鎌倉時代の僧。
鎌倉鶴岡八幡宮の神宮寺の供僧。建久2年(1191)放生会(ほうじょうえ)で導師をつとめ,3年北条政子懐妊の際の安産祈祷をおこなった。のち法橋(ほっきょう)をへて法眼となる。通称は安楽房。

重慶 じゅうけい

1553-1612 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)22年生まれ。東大寺の重祐にまなび,真言密教を研究。奈良の真言宗円成(えんじょう)寺にはいり,のち観音院を再興。念仏三昧を勤めた。慶長17年10月15日死去。60歳。俗姓は橘(たちばな)。

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世界大百科事典 第2版の解説

じゅうけい【重慶 Chóng qìng】

中国,西南部の直轄市。1997年,旧重慶市と2地区級市,1地区を合併して成立した。面積8万2000km2,人口3002万(1995)。長江(揚子江)が西の四川省より東流し,旧市街地は長江と嘉陵江との合流点にある水運の要衝。西から半島状につきでた山地の斜面に発達,建物が立体的に立ち並び〈山城〉とよばれる。1980年代半ば,三峡ダム工事建設にともなう調査により,巫峡の竜骨坡で,古人類の顎の骨や歯の化石を発見し,〈巫山猿人〉と命名,また,巫山県双堰塘などの商・周代の巴人遺跡からは石刀陶片のほか,青銅製の工芸品が出土している。

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大辞林 第三版の解説

じゅうけい【重慶】

中国、四川盆地にある政府の直轄市。金属・機械・織物工業が発達。長江と嘉陵かりよう江の合流点に位置し、水陸交通の要地。日中戦争当時は国民政府の首都。チョンチン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

重慶
じゅうけい / チョンチン

中国、西南地方の東北部にある市。四川(しせん/スーチョワン)省に属していたが、1997年に中国4番目の政府直轄市(省と同格)となった。面積8万2300平方キロメートル、4県級市、18県、4自治県を管轄し、総人口3091万0903、市轄区人口894万4885(2000)。揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン)と嘉陵江(かりょうこう/チャリンチヤン)の合流点に位置する。略称は渝(ゆ)。両江の間の半島に中心部をもつ市街地は、周辺山地にも広がっており、山城とよばれる。古くからの交通要地で、今日も成渝(せいゆ)鉄道、襄渝(じょうゆ)鉄道と川黔(せんけん)鉄道の交会点、自動車・河川交通の中心地であり、四川盆地最大の商業機能を有している。解放後、内戦で破壊された鉱工業も発展し、石炭、鉄鉱石、天然ガス産地や農産物などを背景に鉄鋼、電力、各種機械、化学、紡織その他の諸工業がみられる。また、西南地方の文化中心地でもあり、さらに長江三峡のうちの瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)、北温泉などの温泉保養地、各時代の遺跡、国共合作当時の共産党事務所跡など名勝、史跡も多い。[小野菊雄]

歴史

先秦(せんしん)(秦による中国統一以前)時代、この地にはすでに巴子(はし)国があった。秦はこれを討って巴郡とした。隋(ずい)・唐では渝(ゆ)州、宋(そう)以後は重慶府とよばれた。1876年、芝罘(チーフ)条約に基づき開港場となった。日中戦争の大部分の期間、国民政府はここに首都を移し(1937年11月~46年4月)頑強に日本に対し抵抗した。重慶が前線から遠く離れ、またアメリカ・イギリスによるビルマ(現ミャンマー)経由の援助を受けるのに便利だったからである。このため日本軍によってたび重なる爆撃を受け、多くの被害を出した。重慶は揚子江河口から2400キロメートルも奥地にありながら、相当大きい汽船がさかのぼれるので、揚子江下流地方とは結び付きが強い。1949年の中華人民共和国成立後、52年に成都(せいと/チョントゥー)―重慶間を結ぶ成渝鉄道が完成し、揚子江の航運と相まって中国西南地区の経済的中心地になっている。[倉橋正直]

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世界大百科事典内の重慶の言及

【四川[省]】より

…面積48万8000km2,人口8323万(1995)。北は陝西,甘粛,青海の各省,西はチベット自治区,南は雲南,貴州,東は重慶の各省,直轄市と接する。12地区級市,4地区,3自治州からなり,さらにこれらが179県級行政地域(34市轄区,18市,124県,3自治県)に区分されている。…

※「重慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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