精選版 日本国語大辞典 「重慶」の意味・読み・例文・類語
じゅう‐けい ヂュウ‥【重慶】
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中国、西南地方の東北部にある市。四川(しせん)省に属していたが、1997年に中国4番目の政府直轄市(省と同格)となった。面積8万2400平方キロメートル、万州(ばんしゅう)、涪陵(ふりょう)、江津(こうしん)、合川(ごうせん)、永川(えいせん)など26市轄区、巫山(ふざん)など8県、4自治県を管轄し、人口3048万4300(2016)。揚子江(ようすこう)と嘉陵江(かりょうこう)の合流点に位置する。略称は渝(ゆ)。
両江の間の半島に中心部をもつ市街地は、周辺山地にも広がっており、山城とよばれる。古くからの交通要地で、今日も成渝線(成都(せいと)―重慶)、襄渝線、川黔(せんけん)線(重慶―貴陽(きよう))と蘭渝線(蘭州(らんしゅう)―重慶)の交会点、自動車・河川交通の中心地であり、四川盆地最大の商業機能を有している。市街近郊には重慶江北国際空港がある。中華人民共和国成立後、内戦で破壊された鉱工業も発展し、石炭、鉄鉱石、天然ガス産地や農産物などを背景に鉄鋼、電力、各種機械、化学、紡織その他の諸工業がみられる。また、西南地方の文化中心地でもあり、さらに長江三峡のうちの瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡、北温泉などの温泉保養地、各時代の遺跡、国共合作当時の共産党事務所跡など名勝、史跡も多い。
[小野菊雄]
先秦(せんしん)(秦による中国統一以前)時代、この地にはすでに巴子(はし)国があった。秦はこれを討って巴郡とした。隋(ずい)・唐では渝州、宋(そう)以後は重慶府とよばれた。1876年、芝罘(チーフ)条約に基づき開港場となった。日中戦争の大部分の期間、国民政府はここに首都を移し(1937年11月~1946年4月)頑強に日本に対し抵抗した。重慶が前線から遠く離れ、またアメリカ・イギリスによるビルマ(現、ミャンマー)経由の援助を受けるのに便利だったからである。このため日本軍によってたび重なる爆撃を受け、多くの被害を出した。重慶は揚子江河口から2400キロメートルも奥地にありながら、相当大きい汽船がさかのぼれるので、揚子江下流地方とは結び付きが強い。1949年の中華人民共和国成立後、1952年に成都―重慶間を結ぶ成渝線が完成し、揚子江の航運と相まって中国西南地区の経済的中心地になっている。
[倉橋正直]
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北京,上海,天津に次ぐ中国第4番目の中央直轄市。南宋の皇帝が帝位についたとき「二重の慶び」としたことからその名がある。四川盆地の東部,水陸交通の要衝の地として周代にすでに開発され,巴(は)国の首都が置かれた。以来,四川の重要都市の役割を保ち続けた。南京陥落後の1937~45年には蒋介石(しょうかいせき)の国民政府の戦時首都が置かれ,日本軍による爆撃を受けた。97年,本来の重慶市に万県(ばんけん)市,涪陵(ふりょう)市,黔江(けんこう)地区を加えた人口3000万人の大工業都市となり,長江上流の経済発展の牽引地域としての役割が期待されている。夏は高温多湿で,武漢,南京とともに「中国の三大ストーブ」の異名がある。広島市と友好都市提携を行っている。
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…面積48万8000km2,人口8323万(1995)。北は陝西,甘粛,青海の各省,西はチベット自治区,南は雲南,貴州,東は重慶の各省,直轄市と接する。12地区級市,4地区,3自治州からなり,さらにこれらが179県級行政地域(34市轄区,18市,124県,3自治県)に区分されている。…
※「重慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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