重慶(読み)ジュウケイ

デジタル大辞泉 「重慶」の意味・読み・例文・類語

じゅうけい〔ヂユウケイ〕【重慶】

中国中部にある商工業都市。四川省に属していたが1997年に直轄市となった。揚子江嘉陵江かりょうこう合流点にあり、古くから交通要地日中戦争当時は国民政府臨時首都人口、行政区969万(2000)。チョンチン

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精選版 日本国語大辞典 「重慶」の意味・読み・例文・類語

じゅう‐けいヂュウ‥【重慶】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. かさなるよろこび。
    2. 父母だけでなく祖父母までもが健在であること。〔楼鑰‐跋金花帖子綾本小録〕
  2. [ 2 ] 中国四川省の東部、揚子江(ようすこう)嘉陵江(かりょうこう)との合流点にある都市。河港は一八九一年開港され、以来、河港都市として発達。第二次世界大戦中は国民政府の機関が首都南京から移された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「重慶」の意味・わかりやすい解説

重慶
じゅうけい / チョンチン

中国、西南地方の東北部にある市。四川(しせん)省に属していたが、1997年に中国4番目の政府直轄市(省と同格)となった。面積8万2400平方キロメートル、万州(ばんしゅう)、涪陵(ふりょう)、江津(こうしん)、合川(ごうせん)、永川(えいせん)など26市轄区、巫山(ふざん)など8県、4自治県を管轄し、人口3048万4300(2016)。揚子江(ようすこう)と嘉陵江(かりょうこう)の合流点に位置する。略称は渝(ゆ)。

 両江の間の半島に中心部をもつ市街地は、周辺山地にも広がっており、山城とよばれる。古くからの交通要地で、今日も成渝線(成都(せいと)―重慶)、襄渝線、川黔(せんけん)線(重慶―貴陽(きよう))と蘭渝線(蘭州(らんしゅう)―重慶)の交会点、自動車・河川交通の中心地であり、四川盆地最大の商業機能を有している。市街近郊には重慶江北国際空港がある。中華人民共和国成立後、内戦で破壊された鉱工業も発展し、石炭、鉄鉱石、天然ガス産地や農産物などを背景に鉄鋼、電力、各種機械、化学、紡織その他の諸工業がみられる。また、西南地方の文化中心地でもあり、さらに長江三峡のうちの瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡、北温泉などの温泉保養地、各時代の遺跡、国共合作当時の共産党事務所跡など名勝、史跡も多い。

[小野菊雄]

歴史

先秦(せんしん)(秦による中国統一以前)時代、この地にはすでに巴子(はし)国があった。秦はこれを討って巴郡とした。隋(ずい)・唐では渝州、宋(そう)以後は重慶府とよばれた。1876年、芝罘(チーフ)条約に基づき開港場となった。日中戦争の大部分の期間、国民政府はここに首都を移し(1937年11月~1946年4月)頑強に日本に対し抵抗した。重慶が前線から遠く離れ、またアメリカ・イギリスによるビルマ(現、ミャンマー)経由の援助を受けるのに便利だったからである。このため日本軍によってたび重なる爆撃を受け、多くの被害を出した。重慶は揚子江河口から2400キロメートルも奥地にありながら、相当大きい汽船がさかのぼれるので、揚子江下流地方とは結び付きが強い。1949年の中華人民共和国成立後、1952年に成都―重慶間を結ぶ成渝線が完成し、揚子江の航運と相まって中国西南地区の経済的中心地になっている。

[倉橋正直]

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改訂新版 世界大百科事典 「重慶」の意味・わかりやすい解説

重慶 (じゅうけい)
Chóng qìng

中国,西南部の直轄市。1997年,旧重慶市と2地区級市,1地区を合併して成立した。面積8万2000km2,人口3107万(2002)。長江(揚子江)が西の四川省より東流し,旧市街地は長江と嘉陵江との合流点にある水運の要衝。西から半島状につきでた山地の斜面に発達,建物が立体的に立ち並び〈山城〉とよばれる。1980年代半ば,三峡ダム工事建設にともなう調査により,巫峡の竜骨坡で,古人類の顎の骨や歯の化石を発見し,〈巫山猿人〉と命名,また,巫山県双堰塘などの商・周代の巴人遺跡からは石刀や陶片のほか,青銅製の工芸品が出土している。周代巴国がここに都を建設,戦国末秦がこれを破り,三十六郡の一つ巴郡をおいた。郡治の江州県がおかれ,北周から巴県とよばれた。隋には渝水(ゆすい)すなわち嘉陵江の河畔にあることから渝州がおかれ,街は渝城ともいわれた。現在も略称は渝である。重慶の名は1189年(淳煕16)宋の孝宗時代重慶府の治所となったことから始まる。明には城郭ができ,朝天,臨江門などの城門から陸地部や長江などに通じた。清の光緒年間(1875-1908)には開港され,中国西南地域最大の物資集散センターとなった。民国時の1929年には市に昇格した。抗日戦争時には国民党が政府をおき,49年の解放直後に一時,政府直轄市となり,西南行政委員会が設けられたが,54年に四川省の所轄となった。しかし,97年,もとの重慶市を中核として,万県市や涪陵市,黔江地区の市県などを合併して四川省から独立,人口,面積とも世界最大級の都市,中国で第4番目の省級の直轄市となった。ただし,農村人口は80%をこえる。現在は,鉄鋼,電力,機械や自動車工業などがさかんな一大工業都市であり,市街地にも経済技術区やハイテク産業開発区を設立している。改革開放体制のもと,第9次五ヵ年計画(1996-2000年)により,長江上流,内陸地域の経済・社会中心として,また,三峡ダムプロジェクトの建設やそれにともなう約113万人の住民の移住促進のセンターとして位置づけられている。なお,三峡ダム工事完成により,上流の重慶市東方の渝北,巴南区付近から,下流の湖北省宜昌市宜昌県三斗坪の三峡ダム本体まで632km2に及ぶ貯水池が出現すると計算されている。しかし,工事により,多数の文物や遺跡,古桟道などが水没,環境の変化なども懸念される。
巴蜀
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百科事典マイペディア 「重慶」の意味・わかりやすい解説

重慶【じゅうけい】

中国南西部の直轄市。従来は四川省南東部の都市であったが,1997年直轄市に移行。中国南西部の経済,文化,交通の中心地。旧名巴県,渝州(ゆしゅう)。長江嘉陵江の合流点に臨み,空港をもち,成渝鉄路(成都〜重慶)の起点をなす。古来四川盆地の要地で,1000トン級の汽船がさかのぼれる。1891年開港,長江上流の商業都市として発展。日中戦争中,国民政府がここに遷都(1938年―1945年)して以来人口が激増,市域は急激に拡張した。機械,鉄鋼,紡績セメント,電力,自動車組立てなどの工業が発展している。また白沙沱で長江を横断する長江大橋が1959年に完成。重慶大学,重慶工業学院などがある。夏に酷暑となるため,武漢,南京とともに三大火炉(ストーブ)と呼ばれている。直轄市になる以前に市街区の人口は549万5300人。1996年秋に近隣の万州市,黔江(けんこう)地区などを吸収する形で人口3000万人の〈大重慶市〉に移行,1997年春には第4番目の直轄市となったが,これは三峡ダム建設に伴う住民移住とも関連している。郊外の県を含む人口3343万人(2014)。
→関連項目四川[省]下関条約徐州作戦大足石刻李徳全

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「重慶」の解説

重慶(じゅうけい)
Chongqing

北京,上海,天津に次ぐ中国第4番目の中央直轄市。南宋の皇帝が帝位についたとき「二重の慶び」としたことからその名がある。四川盆地の東部,水陸交通の要衝の地として周代にすでに開発され,巴(は)国の首都が置かれた。以来,四川の重要都市の役割を保ち続けた。南京陥落後の1937~45年には蒋介石(しょうかいせき)国民政府の戦時首都が置かれ,日本軍による爆撃を受けた。97年,本来の重慶市に万県(ばんけん)市,涪陵(ふりょう)市,黔江(けんこう)地区を加えた人口3000万人の大工業都市となり,長江上流の経済発展の牽引地域としての役割が期待されている。夏は高温多湿で,武漢,南京とともに「中国の三大ストーブ」の異名がある。広島市と友好都市提携を行っている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重慶」の解説

重慶 じゅうけい

1553-1612 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)22年生まれ。東大寺の重祐にまなび,真言密教を研究。奈良の真言宗円成(えんじょう)寺にはいり,のち観音院を再興。念仏三昧を勤めた。慶長17年10月15日死去。60歳。俗姓は橘(たちばな)。

重慶 ちょうけい

?-? 鎌倉時代の僧。
鎌倉鶴岡八幡宮の神宮寺の供僧。建久2年(1191)放生会(ほうじょうえ)で導師をつとめ,3年北条政子懐妊の際の安産祈祷をおこなった。のち法橋(ほっきょう)をへて法眼となる。通称は安楽房。

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旺文社世界史事典 三訂版 「重慶」の解説

重慶
じゅうけい
Chóngqìng

中国四川省南東部,長江上流にある都市
古くから西部の成都 (せいと) と並んで東部の中心として発達。1876年開港場となった。日中戦争のとき,国民政府がここへ移り,全中国の政治の中心となった。戦後は軽工業をはじめ各種工業が発展。

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世界大百科事典(旧版)内の重慶の言及

【四川[省]】より

…面積48万8000km2,人口8323万(1995)。北は陝西,甘粛,青海の各省,西はチベット自治区,南は雲南,貴州,東は重慶の各省,直轄市と接する。12地区級市,4地区,3自治州からなり,さらにこれらが179県級行政地域(34市轄区,18市,124県,3自治県)に区分されている。…

※「重慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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