万松院(読み)ばんしよういん

日本歴史地名大系 「万松院」の解説

万松院
ばんしよういん

[現在地名]厳原町厳原西里

金石かねいし川の上流、有明ありあけ山の麓にある。鐘碧山と号し、天台宗本尊は十一面観音。延暦寺の客末寺であったという(楽郊紀聞)。島主の宗義智豊臣秀吉の命による朝鮮との交渉、再度の出陣、和平交渉という辛苦を重ね、元和元年(一六一五)死去、金石屋形の西の丘に葬られた。墓所の下に一堂を建立して松音しようおん寺としたが、数年後に義智の法名に合せて万松院と改めた。


万松院
ばんしよういん

[現在地名]小田原市風祭

風祭かざまつり集落の中央、旧東海道の北にある。祝融山と号し、曹洞宗。本尊は聖観音開基は小田原城主大久保忠世、徳川家康の嫡男松平信康の供養のために建立したと伝える(小田原盛衰記)。もと愛知県豊橋とよはし龍拈りゆうねん寺末。「寛永重修諸家譜」に、もと豊臣家に仕えた大沢正秀について「風祭村万松院に葬る」とある。寛永一八年(一六四一)門前百姓をめぐって風祭村名主らと争う(「名主横暴申上状」県史四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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