日本歴史地名大系 「三之蔵村」の解説 三之蔵村さんのくらむら 山梨県:韮崎市三之蔵村[現在地名]韮崎市穂坂町三之蔵(ほさかまちさんのくら)、北巨摩郡明野(あけの)村三之蔵宮久保(みやくぼ)村の北に位置する。村域はおもに塩(しお)川左岸の段丘上と同川支流で茅(かや)ヶ岳南西麓を流下する三之蔵沢流域を占め、本村にあたる三之蔵および日之城(ひのしろ)、厚芝(あつしば)(現明野村)の三集落からなる。日之城は応永―永享年間(一三九四―四一)日一揆が拠った日之出(ひので)城(日ノ出塁・鷹ノ巣城などともいう)の根古屋にあたることから名付けられた地名という。永禄四年(一五六一)の番帳に「三蔵の禰き」とみえ、武田氏は当地の鎮守諏訪明神(現諏訪神社)の禰宜に対して府中八幡宮への参勤を命じている。同社蔵の天正三年(一五七五)一一月二八日の棟札銘に「巨摩郡逸見之庄小笠原郷三蔵村」とあり、戦国期には逸見(へみ)庄小笠原(おがさわら)郷のうちであったか。また当地は武田氏の家臣で、村山(むらやま)郷(現高根町)を本拠とした日向玄徳斎宗立の所領であったが、天正一〇年九月七日、津金衆の小尾監物(祐光)に「三蔵郷五拾貫文」などが(「徳川家印判状写」寛永諸家系図伝)、同月九日には津金修理亮(胤久)に同じく三蔵郷五〇貫文などが(「徳川家康印判状写」譜牒余録)宛行われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by