20世紀日本人名事典 「三井道郎」の解説 三井 道郎ミイ ミチロウ 明治〜昭和期の司祭,正教神学者,ロシア語学者 日本ハリストス正教会東京ニコライ堂長司祭。 生年安政5年7月2日(1858年8月10日) 没年昭和15(1940)年1月4日 出生地陸中国盛岡加賀野新小路 旧姓(旧名)三井 修治 別名洗礼名=シメオン(西面) 学歴〔年〕正教神学校,キーエフ神学大学 経歴ニコライ大主教(カサートキン)傘下の十哲の一人といわれる。明治7年函館正教会で洗礼を受け、8年神学校入学、16年キーエフ神学大学に留学、20年帰国。正教神学校校長となり、27年司祭叙聖、京都正教会を経て、東京のニコライ堂に。大正6年モスクワの全ロシア正教会地方公会議に日本代表として出席。教理書「正教訓蒙」、紀行文「回顧断片」「往事断片」「訪露紀行」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三井道郎」の解説 三井道郎 みい-みちろう 1858-1940 明治-昭和時代前期の正教司祭。安政5年7月2日生まれ。明治16年岩沢丙吉とともにロシアにわたり,キエフ神学大でまなぶ。帰国後,母校正教神学校の教授・校長,京都正教会の司祭などをつとめる。大津事件の際のロシア皇太子ニコライの通訳。昭和15年1月8日死去。83歳。陸奥(むつ)盛岡出身。洗礼名はシメオン。筆名は駿台老生。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by