ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シメオン」の意味・わかりやすい解説
シメオン
Simeon, Charles
[没]1836.11.13. ケンブリッジ
イギリス国教会聖職者。福音伝道の指導者で,ケンブリッジの宗教生活に消しがたい影響を与えた。ケンブリッジのキングズカレッジで教育を受け,副学寮長 (1790~92) をつとめた。 H.ベンと J.ベンの影響のもとに 1782年ケンブリッジのトリニティ教会に入り,以後死ぬまで牧師。イギリス国教会の有力なメンバーの一人であり,伝道,特にインドの伝道に力を注ぎ,ヘンリー・マーティンら,輩下の最優秀者を派遣。イギリス聖公会宣教協会 Church Missionary Societyの設立を援助 (99) 。そのほか,イギリス聖書教会 British and Foreign Bible Societyに参与,私財を投じて宣教活動を推進,福音伝道を続けるためシメオン財団 Simeon Trostを創立 (1816) した。
シメオン[ストゥディオス]
Simeon of Studios
[没]1022.3.12.
ビザンチンの神秘主義著作家。「新神学者」とも呼ばれる。初め皇帝に仕えたが,977年ストゥディオスの修道士となる。のちコンスタンチノープルに移り,同地の修院長となったが (981) ,独特の教説が批判を受けて小アジアのタルキトンに流され,ゆるされたあとも生涯を同地におくった。きわめて多くの著作があり,神秘家としては神の内在とその光を強調し,人間精神のいたりうる最高段階は神化であることを唱え,ヘシカズム (静寂主義) に理論的根拠を与えた。しかしその神学は同時にキリスト中心的で,聖餐の重要性が強調されている。
シメオン
Simeon
シメオン[柱頭行者]
シメオン[ちゅうとうぎょうじゃ]
Simeon Stylites
[没]459
修道院生活ののち,アンチオキア近郊で孤独な隠者となり,苦行を求めて柱頭に起居する生活を始め,最初の柱頭行者となる。人々の尊崇を集め,三十余年の間,同時代に大きな影響を与えた。アンチオキア西郊モンス・アドミラビスでの柱頭行者シメオンは6世紀 (520~596) の人で別人。
シメオン[ダラーム]
Simeon of Durham
[没]1130
ベネディクト修道会士,イギリス中世の年代記作者。『ダラーム教会史』 Historia Dunelmensis Ecclesiae (1104/8) ,『イギリス諸王史』 Historia regum Anglorum et Dacorumの編者。
シメオン[テッサロニカ]
Simeon of Tessalonica
[没]1429
テッサロニカの大主教。著述家。主著『すべての異端の排除と唯一の信仰に関する対話』 Dialogos kata pasōn tōn haireseōn kai peri tēs monēs pisteōsで,ここではラテン教会も異端として批判されている。
シメオン
Simeon(Symeōn)
シメオン[メタフラテス]
Simeon of Metaphrates
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