三位一体論(読み)さんみいったいろん(英語表記)De trinitate

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三位一体論」の意味・わかりやすい解説

三位一体論
さんみいったいろん
De trinitate

400~419年頃にかけて書かれたアウグスチヌスの円熟期の労作。まず聖書の記録に従って三位一体すなわち3つのペルソナ tres personae,1つの実体 una substantia教義解明に努め,次いでこの教義をめぐる教父たちの諸説に論及し,最後に三位一体の秘儀について考察している。ギリシア教父たちはおおむね父と子と聖霊の3つのヒュポスタシス (個性的実体) から出発して神の唯一性を考察し,3神論に陥る危険を思弁的に克服しようとする傾向にあったが,彼は逆に神の唯一性そのものから出発,3つのペルソナ (父,子,聖霊) を神の存在そのものにおける関係概念として説明することによって3神論への傾斜を避け,啓示と救いの働きにおける面を強調する (経綸的) 三位一体論の立場を正統とした。また彼は三位一体の秘儀は啓示と信仰のもとでも理性による十分な把握はむずかしいとし,神の三位一体性を人間の心的活動 (記憶と悟性と意志,あるいは精神と認識と愛) の三位一体性と類比的に説明している。なお"tres personae,una substantia"という表現はすでにテルトゥリアヌスに見出されるが,これを明確に定式化したのはアウグスチヌスである。

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世界大百科事典(旧版)内の三位一体論の言及

【キリスト教】より

…ギリシア哲学の素養をつんだ知識人が改宗しだすと,当然,信条の内容を哲学的に解釈しようとした。そこで問題となったのが三位一体論とキリスト論で,前者に対する疑問はキリスト従属論として現れた。アリウスがその代表で,ニカエア公会議(325)はアリウスを異端としたが,この問題は4世紀の教会を計り知れぬ混乱に陥れ,最終的にはコンスタンティノープル公会議(381)で三位一体論が確定した(〈ニカエア・コンスタンティノポリス信条〉)。…

【グレゴリオス[ニュッサの]】より

…ニカエア信仰の根幹をなす三位一体論を確立したギリシア教父。〈カッパドキア三星〉のひとり。…

【三位一体】より

…多くの教父と第1ニカエア公会議(325)は〈一実体,三位格una substantia,tres personae〉の定式をもって三位一体を固守したが,三位の統一を宇宙の循環運動になぞらえるとか,三位の成立と働きを神の摂理に帰する以上には出ないということがあった。アウグスティヌスは《三位一体論》の中で,聖霊は〈父と子よりex patre filioque〉発出することを確認して西方教会の神学を基礎づけたが,子は父より,聖霊は子より発出するという東方教会の表現も残している(フィリオクエ)。この異なる表現はのちの東西両教会分裂の一因でもあった。…

【ノウァティアヌス】より

…ストア派から転向してキリスト教の洗礼を受け,司祭となる。すぐれた神学者,思想家として知られ,主著《三位一体論》は,ラテン語で書かれた最初の重要な神学的著作とされる。デキウス帝の大迫害(249‐250)において,教会を裏切った信徒の迫害後の教会復帰を認めるか否かの問題で,ノウァティアヌスは非妥協,厳格主義の立場からそれを認めず,穏健派のローマ司教コルネリウスCornelius(251選出)と対立した。…

【ヒラリウス[ポアティエの]】より

…キリストの神性を強調したこともアタナシオスに近い。《公会議について》《三位一体論》の著書がある。後者は西方教会最初の本格的な教義学の書で,アウグスティヌスに大きな影響を与えた。…

※「三位一体論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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