三刀屋郷(読み)みとやごう

日本歴史地名大系 「三刀屋郷」の解説

三刀屋郷
みとやごう

現在の三刀屋町北部に所在した国衙領。「出雲国風土記」の飯石郡三屋みとや郷が「和名抄」時点では三屋郷と草原かやはら郷とに分れていたが、再び両者を統合するかたちで新たな国衙領として三刀屋郷が成立している。

〔鎌倉期〕

承久三年(一二二一)九月一四日の関東下知状(三刀屋文書、以下断らない限り同文書)などによれば、清和源氏に属し鳥羽十一面堂領越後国佐味さみ上条かみじよう赤沢あかさわ(現新潟県吉川町)の一部を支配していた諏訪部助長(扶永)が、承久の乱の恩賞として三刀屋郷地頭職に補任されており、諏訪部氏はのち三刀屋氏を称する。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)の流鏑馬一一番に三刀屋郷がみえる。文永三年(一二六六)と正安二年(一三〇〇)には出雲国惣社(現松江市の六所神社)の造営料所に宛てられ、国使の入部と地頭請所が停止されている(文永三年四月日「出雲国司庁宣案」・正安二年閏七月日「出雲国司庁宣案」出雲大社文書)。この時期三刀屋郷が地頭請所となっていたことがわかるが、以後国衙領としての実態を示す史料はみられない。

三刀屋郷は承久の乱後に京方の没収地として諏訪部助長に与えられたが、二重補任などの問題があったためか、諏訪部氏と飽馬斎藤時綱との間で紛争が発生した。これに対して貞応二年(一二二三)二月二七日には助長の子助守が「先判」の下文を所持しているとして幕府から当郷地頭職を安堵されている(関東下知状)。助長は安貞二年(一二二八)二月に三刀屋郷の三刀屋川以北の部分を嫡子助守に譲与し、その死を受けた寛元元年(一二四三)六月一一日に幕府がこれを安堵している(将軍家政所下文)。残る川の南側の萱原かやはら粟谷あわだにについては、庶子の秀尊と三ッ犬女に譲られた(三刀屋系図)。助守は三刀屋郷を文永元年一二月に嫡子助親に譲っているが、一部(伊萱)は庶子助秀に与えた(建治二年一二月二六日関東下知状)。文永八年一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の一二番に「三刀屋郷廿一丁諏訪部三郎入道子」とみえ、三郎入道の子とは助親である。助親は嫡子助光に対して正応四年(一二九一)と同六年に越後国赤沢村と三刀屋郷をそれぞれ譲り、永仁四年(一二九六)五月二四日には幕府がこれを安堵している(関東下知状)。一方、伊萱いがや(伊賀屋)は助秀から弥三郎頼秀に譲られたと推定されるが、この頼秀は一方で弘安五年(一二八二)七月二〇日の尼しようしよう譲状(佐方文書)によって、越後国佐味庄上条赤沢村の田を譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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