日本歴史地名大系 「三刀屋郷」の解説
三刀屋郷
みとやごう
〔鎌倉期〕
承久三年(一二二一)九月一四日の関東下知状(三刀屋文書、以下断らない限り同文書)などによれば、清和源氏に属し鳥羽十一面堂領越後国
三刀屋郷は承久の乱後に京方の没収地として諏訪部助長に与えられたが、二重補任などの問題があったためか、諏訪部氏と飽馬斎藤時綱との間で紛争が発生した。これに対して貞応二年(一二二三)二月二七日には助長の子助守が「先判」の下文を所持しているとして幕府から当郷地頭職を安堵されている(関東下知状)。助長は安貞二年(一二二八)二月に三刀屋郷の三刀屋川以北の部分を嫡子助守に譲与し、その死を受けた寛元元年(一二四三)六月一一日に幕府がこれを安堵している(将軍家政所下文)。残る川の南側の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報