三宮村(読み)さんぐうむら

日本歴史地名大系 「三宮村」の解説

三宮村
さんぐうむら

[現在地名]畑野町三宮

馬場ばんば村・きた村と地続きで集村をなし、字荒町あらまちから南東方約二〇〇メートルを隔てた丘陵上の荒屋あらや集落がやや飛地をなす。西方へ約二キロ離れた四日町よつかまち(現真野町)一隅にあった数戸からなる若宮わかみや集落は飛地で、荒屋から分祀したと伝える八幡若宮がある。応永一四年(一四〇七)七月二日の左衛門尉詮忠(本間氏カ)譲状(山田本間文書)に「参宮保肆分壱」とある三宮保の遺称地。この頃雑太本間信濃守旗下とされる者が、ほぼ村域中央の台地上に館を備えていたという。

三宮村
さんのみやむら

[現在地名]鶴来町三宮町

八幡やわた村の南、手取川右岸の谷口に近い河岸段丘上に位置する。村の西端に白山本宮が鎮座する。「加賀志徴」の引く郷村名義抄は、村名由来を「白山第三の宮」があったことによると伝える。正保郷帳に村名がみえ、高二二七石余、田方三町五反・畑方一一町六反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高二四四石(うち七石余は白山長吏安養坊屋敷引高)、免四ツ、小物成は山役九七匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報