20世紀日本人名事典 「三崎亀之助」の解説 三崎 亀之助ミサキ カメノスケ 明治期の政治家,官僚 衆院議員(自由党);貴院議員(勅選);横浜正金銀行副頭取。 生年安政5年1月2日(1858年) 没年明治39(1906)年3月16日 出生地讃岐国丸亀(香川県) 学歴〔年〕東京大学法学部〔明治15年〕卒 主な受賞名〔年〕勲四等 経歴「明治日報」記者を経て、明治17年外務省御用掛となり、外務書記官として米国公使館駐在。さらに公使官書記官としてワシントン駐在、次いで外務省参事官となった。辞任後、京都の「中外電報」に執筆。23年以来香川県から衆院議員に連続当選4回、立憲自由党(弥生倶楽部)に所属。29〜31年内務省県治局長。29〜39年勅選貴院議員。退官後、32年横浜正金銀行支配人となり、33〜39年副頭取を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「三崎亀之助」の解説 三崎 亀之助ミサキ カメノスケ 肩書衆院議員(自由党),貴院議員(勅選),横浜正金銀行副総裁 生年月日嘉永1年(1848年) 学歴東京帝国大学〔明治17年〕卒 経歴外務省御用掛となり、外務書記官として米国公使館駐在、さらに公使官書記官としてワシントン駐在、次いで外務省参事官となった。辞任後京都の「中外電報」に執筆。明治23年以来香川県から衆院議員当選2回、県治局長を務める。まもなく勅選貴院議員。のち正金銀行支配人、同副総裁となった。 受賞勲四等 没年月日明治39年3月16日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「三崎亀之助」の解説 三崎亀之助 没年:明治39.3.16(1906) 生年:安政5.1.2(1858.2.15) 明治時代の政治家。讃岐国(香川県)丸亀に生まれる。開成学校に学び,外務省書記生,同参事官などを歴任。明治23(1890)年第1回総選挙で香川県から衆院議員に当選。以後4回連続当選。立憲自由党に属したが,第1議会では土佐派の裏切りに同調して政府(第1次山県内閣)と妥協,予算案の成立に努め,同党を脱党した。のち復党し,29年4月板垣退助が第2次伊藤内閣の内務大臣に就任すると,内務省県治局長となり,同年12月には貴族院議員に勅選された。のち横浜正金銀行に入り,支配人,副総裁を務めたが,その評判は芳しくなかった。<参考文献>「三崎亀之助を論ず」(増田義一編『当代の実業家人物の解剖』) (寺崎修) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三崎亀之助」の解説 三崎亀之助 みさき-かめのすけ 1858-1906 明治時代の官僚,政治家。安政5年1月2日生まれ。外務省勤務をへて,明治23年衆議院議員となる(当選4回,自由党)。29年内務省県治局長,貴族院議員。のち横浜正金銀行副頭取。明治39年3月16日死去。49歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。東京大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by