三枚橋城跡(読み)さんまいばしじようあと

日本歴史地名大系 「三枚橋城跡」の解説

三枚橋城跡
さんまいばしじようあと

[現在地名]沼津市大手町一―五丁目・上土町・町方町・通横町・西条町・添地町など

戦国時代末期に狩野かの川の右岸、現三枚橋町の西境を通って同川に注ぐむじな川の西側に、武田氏によって築かれた平城。沼津城ともいった。また安永年間(一七七二―八一)水野忠友が当城の城跡北半部に新たに築いた沼津城と区別するため、当城を沼津古城、忠友が築いた城を沼津新城とよぶこともある。

天正六年(一五七八)越後の上杉氏と甲斐武田氏との甲越同盟が成立すると、武田氏と小田原北条氏との第二次甲相同盟は決裂した。その後駿豆の国境付近で両者は戦闘を繰返すこととなり、当城はこの過程で築城された。天正七年九月三日の北条氏政書状(渡辺文書)に「此度駿・豆之境号沼津地、被築地利候」、同月一七日の武田勝頼書状(上杉文書)に「於豆州境新城相築候」などとみえており、この頃の築城と考えられる。黄瀬きせ川を隔てた北条・武田両者の対陣は天正七年一一月頃まで続いている(同年一二月一五日「武田勝頼書状」野口文書、「武徳編年集成」「北条五代記」「甲陽軍鑑」など)。なお「武徳編年集成」には永禄一二年(一五六九)に北条氏の持城として「三枚橋」城のことが記載されるが、「三枚橋」城と武田氏が天正七年に築いた当城との関連は不詳。

天正九年三月、徳川氏が遠江における武田氏の拠点高天神たかてんじん(現大東町)を攻略すると、武田氏は徳川氏と協力関係にある北条氏の来襲に備え、当城など駿豆国境付近にある武田方の諸城の守りを強化している(北条記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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