朝日日本歴史人物事典 「三河屋幸三郎」の解説
三河屋幸三郎
生年:文政6(1823)
幕末明治期の商人。義侠人として事跡が伝えられる。父は享和2(1802)年高利貸の罪で八丈島へ流された。同島で生まれたことから「島小僧」の異名がある。父の赦免により江戸に出て,横浜開港後は貿易で資産を作った。勝海舟らとも交友があった。戊辰戦争では上野に籠った彰義隊に肩入れして逃亡する隊士をかくまい,死体を手厚く葬ったことなどから官軍ににらまれた。五稜郭で官軍と戦った幕臣石川忠恕の『箱館脱走一件始末記』を預かり,公刊の機会をうかがっていたが,果たせないまま没した。同書はのちに幸三郎の子息浅岡岩太郎が福地源一郎や三宅雪嶺の協力を得て『説夢録』と題して公刊した。
(正延哲士)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報