日本歴史地名大系 「三田台町一丁目」の解説 三田台町一丁目みただいまちいつちようめ 東京都:港区旧芝区地区三田台町一丁目[現在地名]港区三田(みた)四丁目三田台上を南北に縦断して品川に向かう往還に沿った年貢町屋。北は功運(こううん)寺および同寺門前、東は往還を隔てて上野沼田藩土岐家下屋敷および済海(さいかい)寺・大円(だいえん)寺境内、西側は北から順に大増(だいぞう)寺・実相(じつそう)寺・正覚(しようがく)院・荘厳(そうごん)寺・正泉(しようせん)寺・神足(じんそく)寺、南は正山(しようざん)寺および三田台町二丁目。町の起立は三田一丁目に同じ。町内は西側の片側町と東西の両側町からなる。町内間数は田舎間で片側町分が表一一九間余、両側町分が表一九間余。総坪数は町内持の往還を除き二千一八七坪。反別七反余。文政一一年(一八二八)の家数一四一、うち家持一二・家主一一・地借一二・店借一〇二(数値は史料どおり)。芝伊皿子台(しばいさらごだい)町辺りまでの一帯は海辺を見下ろす景勝地なので月(つき)の岬とよばれた(文政町方書上など)。「東都紀行」所載の「秋ならは月のみさきやいかならん名は夏山のしけみのみして」(秋元中納言)の歌が前掲書上に紹介されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by