三穂石室(読み)みほのいわや

日本歴史地名大系 「三穂石室」の解説

三穂石室
みほのいわや

万葉集」巻三に「博通法師紀伊国に往きて、三穂の石室を見て作る歌三首」として

<資料は省略されています>

などの歌が載る。三穂石室の所在地には諸説あるが、三尾みおの「うしろそのあな」とよばれる大岩窟を比定する説が「紀伊名所図会」以来有力である。岩窟の高さ・幅・奥行ともにかなり大きく、海食作用によって形成されたものである。もっとも奈良時代には海水がこの岩窟に押寄せていたものと推測され、人の居住は困難だったと思われる。

「続風土記」の説は「紀伊名所図会」とは異なり、「御崎神祠の西北、山間幽奥の地に土人古邸ふるやしきといひ、又浄明寺趾と言る所あり、その地南向にして上下二壇ありて、石垣を築きて平坦の地となす、二壇に通して広さ一畝半許、今猶礎石も遺り、また割石真砂の類なともありて、旧く屋宇を構えし址と見ゆる形あり、意ふに若子潜匿してこの山谷の中に隠れ住まひ、此所にて薨したまひしなるへし、其上の壇は即ち若子を葬り奉りし地にして、下の壇は若子の住みたまへる石室の跡なるへし」とし、和田わだ本脇もとわきにある山伏尾やまぶしおの辺りとするが、ここは石室とおぼしきものを発見するのはむずかしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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