顕宗天皇(読み)けんそうてんのう

日本大百科全書(ニッポニカ)「顕宗天皇」の解説

顕宗天皇
けんそうてんのう

生没年不詳。記紀では第23代の天皇。『古事記』は崩年齢を38歳とするが、『一代要記』などは48歳とし、治世年数も『古事記』は8年とするが、『日本書紀』は3年と異なる。履中(りちゅう)天皇のとし、市辺忍歯(押磐)(いちべのおしは)皇子の子と伝える。袁祁(弘計)(おけ)皇子、来目稚子(くめのわくご)ともいい、袁祁石巣別命(おけいわすわけのみこと)、弘計天皇、袁奚(おけ)天皇とも書く。宮居は近飛鳥(ちかつあすか)宮で、その所在については河内(かわち)説と大和(やまと)説があるが、河内飛鳥とする説が有力である。父が雄略(ゆうりゃく)天皇に殺されたので、の意祁(億計)(おけ)皇子とともに丹波(たんば)に逃れ、さらに播磨(はりま)に身を隠したが、みいだされて皇位に迎えられたという。陵は片岡(傍丘)の石坏(盤杯)(いわつき)の岡の上にありと伝える。奈良県香芝(かしば)市北今市の地とする。

上田正昭

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「顕宗天皇」の解説

顕宗天皇 けんぞうてんのう

記・紀系譜による第23代天皇。在位は5世紀末ごろ。
父は市辺押磐(いちのべのおしはの)皇子。荑媛(はえひめ)。「日本書紀」によると,履中天皇の孫で,父を雄略天皇に殺され,兄億計(おけ)王とともに播磨(はりま)にのがれていたが,清寧天皇にむかえられ,兄にさきんじて即位した。顕宗天皇3年4月25日死去。38歳(「古事記」)。墓所は傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)(奈良県香芝市)。別名は弘計天皇(おけのすめらみこと)。

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精選版 日本国語大辞典「顕宗天皇」の解説

けんぞう‐てんのう ‥テンワウ【顕宗天皇】

第二三代天皇。履中天皇の孫。父は市辺押磐皇子(いちべのおしわのみこ)仁賢天皇の弟。名は弘計王(おけのおおきみ)・来目稚子(くめのわくご)。「日本書紀」によれば、雄略天皇に父を殺され、播磨の明石に隠れる。のち清寧天皇の太子となり、即位して大和の近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)遷都。在位三年。(四五〇‐四八七

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「顕宗天皇」の解説

顕宗天皇
けんぞうてんのう

第 23代に数えられる天皇。名はオケノミコト,また来目稚子 (くめのわかこ) という。履中天皇の孫。市辺押磐皇子 (いちのべのおしはのみこ) の子。母ははえ媛 (はえひめ) 。大和飛鳥八釣宮 (やつりのみや) をとした。陵墓は奈良県香芝市の傍丘磐坏丘 (かたおかのいわつきのおか) 南陵。

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デジタル大辞泉「顕宗天皇」の解説

けんぞう‐てんのう〔‐テンワウ〕【顕宗天皇】

記紀で、第23代の天皇。名は弘計おけ履中りちゅう天皇の孫。父市辺皇子が雄略天皇に殺されたとき、兄の億計おけ王(のちの仁賢天皇)とともに身を隠したが、嗣子のない清寧せいねい天皇に迎えられ、天皇の没後、即位したという。

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世界大百科事典内の顕宗天皇の言及

【億計天皇・弘計天皇】より

…弟の弘計天皇は23代顕宗(けんぞう)天皇,兄の億計天皇は24代仁賢(にんけん)天皇。17代履中天皇の孫。…

※「顕宗天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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