三尾村(読み)みおむら

日本歴史地名大系 「三尾村」の解説

三尾村
みおむら

[現在地名]三岳村三尾

岩郷いわごう(現木曾福島町)に隣接する村で、天保九年(一八三八)の「木曾巡行記」に「この村は王滝川両岸に長くありて小谷等入込の場所弐拾弐ケ所に家数分かれ」とあるように、村は日向ひなた田口たぐち一三、下村しもむら一四、中組なかぐみ一四)桑原くわばら大半場おおはんば二五、桑原くわばら一三、上条かみじよう九、小島こじま六)いり黒田くろだ一三、沢渡さわど二、田代たしろ二、尾羽林おばばやし四)下条しもじようぬま二、越立にいだち三、大地おおち二、くぼ二、大洞おおぼら三、尾尻平おじつぺ四)の四集落で構成されていた(木曾三岳村の民俗)

三尾村
みおむら

[現在地名]東吉野村大字三尾

四郷しごう川流域の村。高見たかみ日裏ひうら両河川との合流地点上流に位置する。寛永郷帳には「三ツ尾村」と記される。小川おがわ郷のうち。慶長郷帳では村高二五一・七石、幕府領(代官辻子和泉)。元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領となり、延宝七年(一六七九)再び幕府領に編入された。年代不詳であるが、狭戸せばと村が三尾村から分村したので、元禄郷帳の三尾村の村高は二一一・八六一石となっている。

三尾村
みつおむら

[現在地名]三日月町三尾

三原みはら村の西、久保くぼ村・島脇しまのわき村の南、標高三〇〇メートル級の山上台地に立地する。慶長国絵図に三尾村とみえる。江戸時代初期の領主変遷細月みかづき村に同じで、慶安二年(一六四九)幕府領。享保元年(一七一六)安志藩領となり幕末に至る(「小笠原家譜」東京大学史料編纂所蔵)正保郷帳では田方八一石余・畠方三七石余、芝山有と注記される。

三尾村
みおむら

[現在地名]氷見市三尾

上庄かみしよう川の支流三尾川の最上流域、東は日名田ひなた村、西と北は能登国、南は床鍋とこなべ村。正保郷帳の高九八石余、田方二町五反余・畑方四町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高一〇八石・免五ツ三歩、小物成は山役四二匁(三箇国高物成帳)。寛保二年(一七四二)の高免等書上帳(折橋家文書)によれば百姓一九・頭振二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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