三草山
みくさやま
社町の市街地北東、山口・畑・馬瀬の境にそびえる標高四二三・九メートルの山。千鳥川支流の三草川上流域に位置する。かつては丹波と播磨の国境地帯に位置し、京都や丹波から西国に入る丹波道の要衝として賑わい、有名な古戦場でもあった。源平争乱の際の寿永三年(一一八四)二月四日夜、三草山の西の山口に布陣した平資盛方を源義経方が奇襲した三草山合戦は、「吾妻鏡」同月五日条や岩波版「平家物語」巻九(三草勢揃付三草合戦)で著名。ただし同「平家物語」に「播磨と丹波のさかひなる三草の山」とあるのに対し、延慶本「平家物語」第五(源氏三草山并一谷追落事)には三草山の所在地についての播磨・丹波国境の記述がなく、三草山の所在地を不明とする見解もある。
建武三年(一三三六)二月には、京都での合戦に敗れた足利尊氏が丹波から当山を越えて印南野(現加古川市から明石市付近)に逃れている(梅松論・風雅和歌集)。同五年六月日の島津忠兼軍忠状(越前島津家文書)には同年四月の三草山合戦の記載がみえ、播磨守護赤松円心の証判がある。
三草山
みくさやま
北摂山地にある標高五六四・一メートルの山。能勢町と兵庫県川辺郡猪名川町との境界に位置し、猪名川とその支流大路次川との分水界となっている。「摂津国風土記」逸文に美奴売の神は「本、能勢の郡の美奴売山に居りき」、あるいは「住吉大社神代記」に為奈河(猪名川)の源流の一つである美度奴川は「流通美奴売乃山中」と記されるが、この美奴売山が三草山と考えられている。敏馬山とも書いた(摂津名所図会)。なお、元暦元年(一一八四)源平合戦の戦場となった三草山(「吾妻鏡」同年二月五日条など)を当山にあてる説があるが、この三草山は現兵庫県多紀郡と加東郡境の山とする説が有力である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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