三輪 大次郎
ミワ ダイジロウ
明治〜昭和期の画家
- 生年
- 明治1年(1868年)
- 没年
- 昭和27(1952)年5月2日
- 出生地
- 越後国(新潟県)
- 学歴〔年〕
- 京都府画学校普通画科〔明治21年〕卒
- 経歴
- 卒業後上京し、小山正太郎が主宰する不同舎や川村清雄について洋画を学ぶ。明治23年明治美術会会員となり、同会主催の展覧会を中心に出品。24年の第3回同会展では「漁夫捕網」を発表した。写実を重視した油彩画には定評があったが、次第に出品活動から離れ、30年代に帰郷。のち京都へ移り、明治時代の末頃には日本画に転じた。日本画家三輪晁勢は息子。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
三輪大次郎 みわ-だいじろう
1868-1952 明治-昭和時代の画家。
明治元年生まれ。三輪晁勢(ちょうせい)の父。洋画を小山正太郎の不同舎,川村清雄にまなぶ。明治美術会に属し,明治24年に油絵「漁夫補網」などを出品するが,明治末ごろから日本画に転向した。昭和27年5月2日死去。84歳。越後(えちご)(新潟県)出身。京都府画学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 