喜望峰(読み)キボウホウ(その他表記)Cape of Good Hope

デジタル大辞泉 「喜望峰」の意味・読み・例文・類語

きぼう‐ほう〔キバウ‐〕【喜望峰】

Cape of Good Hope南アフリカ共和国南西部、ケープ半島南端西側にある岬。1488年ポルトガルバーソロミュー=ディアス発見、嵐の岬と命名したが、のち喜望峰と改称。1497年バスコ=ダ=ガマが初めてここを回って、インドに達した。名は、ポルトガルのエンリケ王子がインド航路発見を念じて名づけたとも、航路発見を記念してポルトガル王ジョアン2世が命名したともいう。

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精選版 日本国語大辞典 「喜望峰」の意味・読み・例文・類語

きぼう‐ほうキバウ‥【喜望峰】

  1. ( [英語] Cape of Good Hope の訳語 ) 南アフリカ共和国の南西端にある岬。一四八六年バーソロミュー=ディアスが発見。「あらしの岬」と呼ばれたが、九七年バスコ=ダ=ガマがこの岬の沖合を通過してインドへの航路を開拓して以来、ポルトガル王により「喜望の岬」と改称された。

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改訂新版 世界大百科事典 「喜望峰」の意味・わかりやすい解説

喜望峰 (きぼうほう)
Cape of Good Hope

南アフリカ共和国南西端の岬。アフリカーンス語ではカープ・ディ・フーイ・ホープKaap di Goeie Hoopと呼ぶ。ケープタウンの南側にのびるケープ半島の南端の小突起部(半島の先端はケープ・ポイントと呼ばれる)で,硬質砂岩の水平層が約30mの海食崖をめぐらす。1488年ポルトガル人B.ディアスの到達後,〈あらしの岬Cabo Tormentoso〉の名で航海者たちに恐れられていたが,ポルトガル王が97-99年のバスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓を機に〈喜望岬Cabo da Boa Esperança〉と改名したといわれる。この名はその後,オランダイギリスの植民時代にも,それぞれの国語に訳されて引き継がれてきた。岬の名は,しだいに拡大して使用されるようになり,半島全体,さらには植民地全体の名となり,南アフリカ共和国の州名ともなった。半島先端部約20km2は,1939年州有地となり,自然保護区として国の内外から多くの観光客を呼んできた。

 なお,同名の岬が,遠くはなれたニューギニア島にある。同島の西に突出したドベライ(チェンドラワシ)半島の最北点がこれであるが,インドネシアではジャムルスバJamursba岬と改名した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喜望峰」の意味・わかりやすい解説

喜望峰
きぼうほう
Cape of Good Hope

南アフリカ共和国西ケープ州南西部の岬。アフリカーンス語では Kaap de Goede Hoop。ケープタウンの南約 50km,ケープ半島の南端に位置。ヘロドトスの伝えるフェニキア人のアフリカ周航を別とすれば,1488年バルトロメウ・ディアス,1497年バスコ・ダ・ガマが到達,以降,インド航路の経由地となった。当時は「嵐の岬」と呼ばれていたが,ヨーロッパの宿願であったインド航路が開かれたことにより,ポルトガル王ジョアン2世(完全王)が「喜望峰」Cabo da Boa Esperançaと改名。1652年オランダ東インド会社から派遣されたヤン・ファン・リーベークにより,半島北西部テーブル湾岸に,インド航路の船舶のための補給用の農牧産地と砲台が創設され,中継基地として発展。その後,ここを拠点として,オランダ人農業移住者を中心に白人の南アフリカ移住が進み,しだいに内陸部に及んだ。美しい景観に恵まれ,動物保護区があり,観光地として知られる。付近は農業,工業,沿岸漁業が盛ん。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜望峰」の意味・わかりやすい解説

喜望峰
きぼうほう
Cape of Good Hope

南アフリカ共和国、西ケープ州の南西端、南緯34度21分、東経18度29分にある岬。アフリカ大陸最南端のアガラス(アグラス)岬の北西約160キロメートル、ケープ半島の南端、フォルス湾の西の出口に位置する。アフリカーンス語ではカープ・デ・フーデ・ホープKaap de Goede Hoopという。1488年、ポルトガルの航海者バルトロメウ・ディアスがヨーロッパ人として初めてこの地を訪れ、「嵐(あらし)の岬」Cabo Tormentosoと名づけた。その後、ポルトガルのエンリケ航海王子がインドへの航路発見を念じて喜望峰と改称した。そして1497年バスコ・ダ・ガマがここを通ってインドへの航路を開いた。喜望峰の名称の由来については、インド航路発見を記念してポルトガル王ジョアン2世が命名したともいう。岬のバスコ・ダ・ガマ峰は約250メートルの急崖(きゅうがい)をなし、岬一帯は喜望峰自然保護区に指定されている。東に接するケープ・ポイントは観光地として有名である。

[堀 信行]

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百科事典マイペディア 「喜望峰」の意味・わかりやすい解説

喜望峰【きぼうほう】

ケープ・オブ・グッド・ホープCape of Good Hope。南ア共和国南端,ケープ・タウンの南方約50km,フォールス湾の西側に突出した半島の先端(東経18°29′,南緯34°21′)。1488年ディアスが到達し,1497年にはバスコ・ダ・ガマが通過した。一帯は観光地で,最先端部まで自動車道路が通じる。
→関連項目大航海時代

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「喜望峰」の解説

喜望峰(きぼうほう)
Cape of Good Hope

アフリカ大陸,南アフリカ共和国の南端(最南端ではない)に位置する岬。ケープタウンの南方約50kmにある。1488年ポルトガル人バーソロミュー・ディアスが発見。「嵐の岬」と命名されたが,ポルトガル国王が現在名に改称。

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旺文社世界史事典 三訂版 「喜望峰」の解説

喜望峰
きぼうほう
Cape of Good Hope

南アフリカ共和国南西端にある岬
1488年にバルトロメウ=ディアスが発見して「暴風岬」と名づけたが,東方への新航路の開拓を望むポルトガル王はこれを喜望峰と改名した。近くのケープタウンはインド航路への中継地として,その後オランダ・イギリスの激しい争奪の対象となった。岬の名はのちに拡大して,半島や植民地全体をさすようにも使われた。

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世界大百科事典(旧版)内の喜望峰の言及

【アフリカ探検】より

…88年B.ディアスは初めてアフリカ南端をまわってインド洋の入口まで達した。岬の嵐の激しさを示すためディアスは〈嵐の岬〉という名称を用意したが,国王は〈よき希望の岬(喜望峰)〉と命名した。ポルトガルに希望を与える岬という意味である。…

【ディアス】より

プレスター・ジョン伝説)に到達することを命ぜられ,アフリカ西海岸に沿って南下し,その南端を回ったが,乗組員の反抗にあって引き返した。彼はアフリカ大陸最南端の岬を〈嵐の岬〉と命名したが,のち〈喜望峰〉と改められた。1500年ペドロ・アルバレス,P.A.カブラルの船隊に参加してインドに向かい,喜望峰付近で難破したが,インドに到着したのち,同地で死去した。…

※「喜望峰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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