ファショダ事件(読み)ふぁしょだじけん(英語表記)Fashoda incident

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファショダ事件」の意味・わかりやすい解説

ファショダ事件
ふぁしょだじけん
Fashoda incident

1898年、スーダン南東部のファショダ(現、南スーダン共和国コドクKodok)で、イギリス、フランス両勢力が衝突した事件。19世紀末、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が激化し、イギリスはスーダンを占領カイロケープ・タウンを結ぶ南北縦断政策を進めた。一方、西アフリカの大半を手中にしたフランスは、アフリカ東岸のジブチへ抜ける大陸横断政策をとり、マルシャン将軍を派遣した。1898年彼はファショダに到達し、急を聞いて駆けつけたイギリス軍のキッチナー将軍と対峙(たいじ)した。イギリス軍はフランス軍の撤退を求めたが受け入れられず、結局両国の外交問題に発展、あわや開戦という瀬戸際まで追い込まれた。しかし、フランスの譲歩でマルシャンは撤退し、翌1899年スーダンはイギリスとエジプトの共同統治となり、フランスはチャド湖一帯を獲得した。この事件はヨーロッパ列強によるアフリカ分割の最後の頂点となった事件とされる。

[青木澄夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファショダ事件」の意味・わかりやすい解説

ファショダ事件
ファショダじけん
Fashoda Incident

1898年アフリカ分割をめぐってイギリスの縦断政策とフランスの横断政策が衝突した事件。エジプト,スーダン地方をイギリスが統治下におこうとしたとき,フランスがアフリカ横断政策によってナイル川上流地域を占領してイギリスのケープ,カイロの生命線の切断を試み,98年7月ナイル河畔のファショダにフランス国旗が掲げられた。イギリスの H.キッチナーはフランス軍の撤退を求め,一時両国間に戦争の危機が生じたが,最後にフランスが譲歩した。 99年3月 21日英仏共同宣言が発せられ,ファショダはイギリスの,西スーダンはフランスの勢力下にそれぞれ入り,さらに 1904年英仏協商によってアフリカの勢力分野が決定された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android