上保木村(読み)かみほきむら

日本歴史地名大系 「上保木村」の解説

上保木村
かみほきむら

[現在地名]菊川町大字上保木

南流する木屋こや川の東に位置し、村の東に高畑たかはた山がそびえ、西に小日本こにつぽん平野(菊川平野)が展開する。東は下保木しもほき、西は下岡枝しもおかえだ、南は上大野かみおおのなどに接する。清末藩領。

村名は文安六年(一四四九)の下保木村西光寺文書に、「岡枝郷保木村」とあり、古くは岡枝郷の内であった。慶長五年(一六〇〇)以降の検地帳などにも保木村とあるが、「地下上申」から上保木・下保木の二ヵ村に分れる。村名の由来を同書は、上保木の内、城山に郷士保木主計がいたので保木村になったとするが、これは地名が先であろう。

村内袖掛そでかけ神社蔵の延徳三年(一四九一)の棟札に、「地頭相良遠江前司藤原正任」とあり、大内氏の時代には相良氏領地であったことがわかる。また同神社の明応七年(一四九八)の定書に、公文田所などの地名がみえる。西光寺文書によると、天文一六年(一五四七)寺領を横領したとして神代右近将監正綱を訴えているが、この神代氏は延徳三年の上保木村袖掛神社の棟札には「神代紀伊守貞綱」とあり、おそらく地頭相良氏の代官であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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