上八太村(読み)かみはだむら

日本歴史地名大系 「上八太村」の解説

上八太村
かみはだむら

[現在地名]三原町榎列上幡多(えなみかみはだ)

下八太村の北東部にあり、南部は平地、北部は山地からなる。中央部を秦(はだ)川(成相川中流)が北西流する。中(なか)街道が下八太村から入り、北上する。正保国絵図に上八太村とあり、高三〇八石余。天保郷帳では高三二〇石余。反別戸数取調書によると反別五四町七反余、高五八九石余、うち蔵入高一二二石余・給知高四六五石余。給人は乾基之進ら一六人。ほかに八幡宮領一斗余がある。家数一五二・人数五八〇。水利として菖蒲谷(しようぶだに)池・中の池・西の池などの溜池がある(味地草)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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