日本歴史地名大系 「上内村」の解説 上内村かみうちむら 福岡県:大牟田市上内村[現在地名]大牟田市上内坂井(さかい)村の北、白銀(しらがね)川流域にある。西は下内(しもうち)村、北は楠田(くすだ)村(現高田町)など。全域が低山性の山地で占められる。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に「三毛郡宇治倉富」三〇町があり、この「宇治」がのちの上内・下内に比定される。天文一九年(一五五〇)頃のものと推定される年月日欠の三池氏等知行坪付(田尻家文書/佐賀県史料集成七)に田尻氏知行分村付として「かミうち」三町がみえる。おそらく三池親員の闕所地で、大友氏から田尻親種に加増されたものと思われる。親種の子鑑種は天正七年(一五七九)以降龍造寺隆信に従い、年月日欠の下今福村等田地坪付(同上)では「かミうち」三町は「宮房殿分」とされている。 上内村うえうちむら 埼玉県:北葛飾郡鷲宮町上内村[現在地名]鷲宮町上内・中央(ちゆうおう)一丁目・鷲宮五丁目鷲ノ宮村の南にあり、集落は新(につ)川分水路や青毛堀(あおげぼり)川沿いの微高地に散在する。正安三年(一三〇一)・応長元年(一三一一)銘など約二〇点の板碑が発見されている。中世は太田(おおた)庄の内で、地内寿徳(じゆとく)寺が所蔵する永正一二年(一五一五)一一月の伝法灌頂印信には「武蔵国太田庄寿徳寺」とみえる。田園簿に村名がみえ、田高四二七石余・畑高四七四石余で、川越藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by