出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸時代,将軍あるいは大名より,某村何百石といった形で一定の土地・百姓を禄として受け取ること,またそれを支配すること。これに対し,所付けがなく高のみの知行を蔵米知行(俸禄制)といい,これは与えられた知行高に対して一定率(多くの場合,高の40%前後)の米を幕府あるいは藩の蔵から受け取った。江戸時代初期の大名家臣の多くは,知行を地方であてがわれるのが通例であったが,17世紀を通じて多くの諸藩は,地方知行を廃し蔵米知行へと知行制を変更していった。元禄初年の成立といわれる《土芥寇讎記(どかいこうしゆうき)》によれば,地方知行の藩39,蔵米知行の藩204であり,17世紀末には知行制の主流は蔵米知行となっていたことがうかがえる。地方知行の藩の大半は外様藩で,地域的には東北や辺境地域に多かった。しかし,こうした諸藩の地方知行の内容も,百姓支配や年貢率決定権が取り上げられたり制限されるなどし,初期の地方知行の内容とはかなり異なったものとなっていった。
執筆者:藤井 譲治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
江戸時代の知行形態の一つ。将軍や大名から旗本・家臣などに対し土地で給付された。地方とは耕作農民付の土地の意。地方知行をあてがわれたのは藩では上・中級の家臣で,彼らは給人(きゅうにん)とよばれた。その知行地を知行所という。地方知行は,江戸初期には比較的多くの藩でみられ,給人は年貢徴収権をはじめ実質的に農民を支配する権限をもつことが多かった。しかし江戸中期以降になると,諸藩は領民と土地の集中的支配を進め,地方知行から物成(ものなり)知行や蔵米知行へ移行させたり,または給人の知行権を大幅に制限して地方知行を擬制化していく。一方,外様の大藩では,幕末期まで地方知行を残したところが多い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
… 大名の領地を支配関係によって大別すると,大名が直接支配し年貢を収納する蔵入地(くらいりち)と,家臣に宛て行う給地(家臣知行分)とに分けられる。そして後者すなわち家臣が給地を支配する形態には,地方(じかた)知行と蔵米(くらまい)知行とがあった。地方知行とは,家臣が直接給地を支配して年貢を収納する形態であり,戦国期の小領主の知行形態にならったものではあるが,江戸時代には大名領主権が強大となって裁判権などは吸収され,実質的には制限付きの年貢収納権だけが残されていた。…
…これを藩体制の確立といい,それは次のことを内容としていた。(1)大名家臣=給人が給人知行地の農民に対して直接に個別的に支配を行うこと(地方知行(じかたちぎよう)という)を事実上,または制度上禁止すること。(2)藩がその直轄地(蔵入地(くらいりち)),給人知行地を含めて,所領内の農民支配を一元的に掌握して年貢を取り,大名家臣にはその知行高に応じて,藩が年貢米を支給する(俸禄制という)制度にすること。…
…
[村中入会の成立過程]
戦国末~近世初頭の林野利用の状況から村中入会への移行は,林野に対する近世領主権の確立過程で進行する。その過程で領主の打ち出した方策の第1は,地方知行(じかたちぎよう)者の林野に対する知行権を否定し,林野を蔵入地(くらいりち)化する方向をとる。地方知行を与えられていた家臣は,耕地とともに林野を耕地の一部として私的に支配した。…
※「地方知行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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