日本歴史地名大系 「上大鳥居村」の解説 上大鳥居村かみおおとりいむら 山梨県:東八代郡豊富村上大鳥居村[現在地名]豊富村大鳥居高部(たかべ)村の南、笛吹川に注ぐ浅利(あさり)川の上流に位置する。南部は山地が占め、仲(なか)川・大森(おおもり)川などが流れ出て浅利川へ注ぐ。西方には谷坂(やさか)川が流れ、対岸は大塚(おおつか)村(現三珠町)。元亀四年(一五七三)九月二三日の武田家印判状(真壁多一郎家旧蔵文書)に大鳥居郷がみえ、跡部大炊助の懇請により、同郷の三五貫文の地と陣夫一人などが塩屋五郎右衛門尉に宛行われ、同時にさらなる軍役奉仕が命じられた。天正一〇年(一五八二)八月二〇日には甲斐の新領主となった徳川家康より同人に対し本領であると言上した当地の三〇貫文の地などの所領が安堵されている(「徳川家印判状写」同文書)。近世には人家はおおむね浅利川の各支流沿いに形成されており、小村に富士池(ふじいけ)・山宮(やまみや)・中村(なかむら)・上手(わで)があった(甲斐国志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by