上天津村(読み)かみあまづむら

日本歴史地名大系 「上天津村」の解説

上天津村
かみあまづむら

[現在地名]福知山市字上天津

由良川福知山盆地を出る出口の左岸一帯に位置する。当地には十五・十九・下十九・丁田・八ヶ坪・石ヶ坪などの小字名があり、古代条里制の遺名と推察される。古代川口かわぐち(和名抄)中世河口庄の地。

地名天津の初見は、応永二七年(一四二〇)七月二〇日付足利義持御判御教書(天寧寺文書)に「丹波国金山天寧寺門前敷地并向山 限西師殿桐村谷之本屋敷登南尾大道 限東天津堺事(下略)」とあるものであろう。

江戸時代の初めは上下に分れず天津村一村であったが(「寺田三左衛門覚書」御霊神社蔵)、「寛文印知集」では上天津・下天津の二村となっている。「丹波志」は「上天津村 勅使・平ツカイ・波江・石元」として高九二三・二五石を記す。福知山藩領。

万治二年(一六五九)松平忠房時代の検地の時、近隣の長尾ながお村は山が戸数の割に多く、天津村は少なく定められた。そのため藩のとりなしで天津村の者は山刀・鎌だけを持って長尾村の山へ柴刈りに入ることを許された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報