日本歴史地名大系 「上山佐村」の解説 上山佐村かみやまさむら 島根県:能義郡広瀬町上山佐村[現在地名]広瀬町上山佐下山佐村の南、飯梨(いいなし)川(富田川)の支流山佐川の流域一帯を占める山村で、西は山塊を境に意宇(いう)郡・大原郡。広大な村域を有し、集落は山佐川沿いや支流の谷々に点在する。天馬(てんば)山(天場山)の山林中に横穴墓が三基確認され、水天宮(すいてんぐう)社の川向いの丘陵にある円墳から勾玉・土器が出土した。中世墓である社呂塚(しやろづか)遺跡からは人骨と錫杖が見つかっている。中世には富田(とだ)庄内山佐(村)に含まれた。富田庄地頭富田義泰の子秀清は山佐を領して山佐氏を名乗り、その子師清は上山佐に住して上山佐氏を名乗ったという。正保国絵図に村名がみえ、下山佐村から当村に至り、山佐川上流の奥田原(おくたわら)村へ向かう道と大原郡南(みなみ)村(現大東町)へ向かう道が描かれている。奥田原村へは二一町、南村へは一里。「郡村誌」によると田一一〇町余・畑一三町二反余・宅地六町八反余・山林一千七四五町五反余、戸数二一四・人数八九七、牛一五九・馬一〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by