上岡本村(読み)かみおかもとむら

日本歴史地名大系 「上岡本村」の解説

上岡本村
かみおかもとむら

[現在地名]高山市上岡本町・岡本町(おかもとまち)・昭和町(しようわまち)など

川上(かわかみ)郷との境に連なる中山(なかやま)丘陵の麓に広がる。東は七日町(なぬかまち)村、西の村境を苔(すのり)川が流れる。中世の岡本郷・岡本保の遺称地。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳では大野灘(おおのなだ)郷に属する。上岡本・下岡本両村で高付され高四九九石余、うち田方二九八石余・畑方二〇〇石余、物成高一七四石余。同一八年の郷帳でも同様で高五三二石余。元禄検地反歩帳では上岡本村として高三四八石余、田三〇町二反余・畑二町六反余。元禄一〇年(一六九七)からは高山町伝馬組の一村で、馬三疋を負担した(高山市史)。


上岡本村
かみおかもとむら

[現在地名]河内町白沢(しらさわ)

白沢村の南に位置し、近世には同村とともに奥州街道白沢宿を形成した。中世には中岡本・下岡本一帯を含む岡本郷が成立していた。応永一八年(一四一一)一二月八日の宇都宮持綱公事免除状(一向寺文書)や文明一八年(一四八六)二月一三日の宇都宮成綱公事免除状(同文書)などによると、岡本郷内に一向(いつこう)寺(現宇都宮市)の給分田四町があり、同地の諸公事・頭役銭・流鏑馬銭・番料足が宇都宮氏代々によって免除されている。天文二〇年(一五五一)に岡本で合戦が行われ、大島大炊助の奮戦が知られる(一〇月一九日「芳賀高定感状」大島文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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