上平屋御嶽(読み)ういぴやーうたき

日本歴史地名大系 「上平屋御嶽」の解説

上平屋御嶽
ういぴやーうたき

[現在地名]城辺町砂川 前原

砂川すなかわ集落西端にある宮古製糖城辺工場の南数百メートルほどの原野に位置する。一般にはマイウイピャームトゥ(前上比屋元)といわれる。またウマニャーズムトゥ・ウマヌアズムトゥともよばれる。御嶽のある一帯上比屋山ういぴやーやま遺跡とよばれ、当御嶽以外にクスウイピャームトゥ(後上比屋元)・ウイウスムトゥがある。隣接してフファディラムトゥ、マイキサマムトゥ(前喜佐真元)・クスキサマムトゥ(後喜佐真元)・マイヌヤームトゥ(前の家元)などがあり、御嶽・拝所が集中している。ムトゥ(御嶽)の建物は側壁を琉球石灰岩の石垣で積上げた茅葺である。家屋内への入口は正面左右にそれぞれ一つずつ開けられている。大きさは約三〇平方メートル。マイウイピャームトゥ、ウイウスムトゥも同構造の家屋となっている。ウイウスムトゥは入口が中央に一ヵ所開いた形で、ほかは同様。雍正旧記にいう上平屋御嶽はクスウイピャームトゥに比定されるが、説話はマイウイピャームトゥにもかかわる。クスウイピャームトゥの祭神は天テクコ(男神)・ボナサラ(女神)・サーネプズ(男神)と伝えられているが(平良市史)、雍正旧記では「上平屋御嶽、男女神、天てくこ、天のほなさら」となっており、サーネプズの部分だけが異なる。御嶽創建の由来はナーパイ祭祀起源として語られるが、一種の洪水説話になっている。現在伝える御嶽の祭神は、その説話に語られる主人公サアネとその父の天テクコ、そして母の天ノボナザラ。当御嶽で謡われるニーリに「あうがま」とあり、「同人八重山入の時あやこ」(雍正旧記、同人とは仲宗根豊見親)にみえる「砂川あほかめつゝの主(砂川アフガマ頂の主)」とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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