日本歴史地名大系 「上平川村」の解説 上平川村かみひらかわむら 静岡県:小笠郡小笠町上平川村[現在地名]小笠町上平川下平川村の北、牛淵(うしぶち)川の中流域に位置し、西端を菊(きく)川が南流する。村の北部を秋葉街道(信州街道)が通る。永禄三年(一五六〇)一二月九日、今川氏真は松井宗恒に所領所職を安堵したが、なかに「上平河代官職」が含まれている(「今川氏真判物写」土佐国蠧簡集残篇)。代官職であり、今川氏に年貢等の一部が納入されていた可能性が高い。今川氏没落後、元亀三年(一五七二)一二月一六日、松井宗恒は武田晴信から安堵を受け、なかに上平河の内と「下平河散田地」で六〇貫文と掲げられる(「武田晴信判物写」同書)。 上平川村ひよーむら 鹿児島県:大島郡知名町上平川村[現在地名]知名町上平川(かみひらかわ)下平川(しむびよう)村の南東に位置する。地名のヒョーは神と人の領分を分けた標示の意であるという。中世、山手の方に豪族アジ(按司)が居城したというハナグスクがある。シニグ祭には大(おお)山から下ってくるノロをマチシニグで迎えて神酒を供え、ヒョーシングドーでシニグアシビ(シニグ遊)をしたと伝える。初め喜美留(ちびる)間切、安政四年(一八五七)から東(ひがし)方に属した。同五年の火災で二二戸が焼失。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報