日本歴史地名大系 「上曾我井村」の解説 上曾我井村かみそがいむら 兵庫県:小野市上曾我井村[現在地名]小野市復井町(ふくいちよう)・桜台(さくらだい)下曾我井村の北に位置し、加古川右岸から西の青野原(あおのがはら)台地までを村域とする。集落は川寄りの低地に形成されている。慶長国絵図に「上そかい村」とみえる。領主の変遷は河合中(かわいなか)村に同じ。正保郷帳では田方二二〇石余・畑方七〇石余。享保九年(一七二四)の高三七五石余、うち新田高入一八石余(「青野原縁通村々割渡帳」三枝家文書)。以後村高は幕末まで変わらない。下曾我井村などと土地と用水をめぐる争論が繰返されている。天保五年(一八三四)の家数六一(すべて高持)・人数二六七、うち極困窮人の家数一六・人数五四(「極困窮人書上帳」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by