日本歴史地名大系 「下曾我井村」の解説 下曾我井村しもそがいむら 兵庫県:小野市下曾我井村[現在地名]小野市復井町(ふくいちよう)河合中(かわいなか)村の北に位置し、加古川右岸から西の青野原(あおのがはら)台地までを村域とする。集落は川寄りに形成されている。北は上曾我井村。慶長国絵図に「下そかい村」とみえる。領主の変遷は河合中村に同じ。正保郷帳では田方二五四石余・畑方七六石余。享保九年(一七二四)の高四六四石余、うち新田高入五七石余(「青野原縁通村々割渡帳」三枝家文書)。天保郷帳では高四六八石余。享保七年と弘化三年(一八四六)に上曾我井村との間で蓬莱(ほうらい)野の境界をめぐって出入となり(弘化三年「口上書」三枝家文書)、弘化三年には当村地先の新部(しんべ)村井堰井路掘替えをめぐり出入となるなど、土地と用水をめぐる争論が繰返されている(「取替一札」同文書)。 下曾我井村しもそがいむら 兵庫県:多可郡中町下曾我井村[現在地名]中町曾我井坂本(さかもと)村の東、杉原(すぎはら)川の中流域西岸に位置する。東は羽山(はやま)村(現西脇市)。慶長国絵図に「下そかい村」と記載される。正保郷帳では田方五一〇石余・畑方四八石余、山役・鉄砲役があり、幕府領。延宝六年(一六七八)相模小田原藩領(「大久保氏禄高調」「稲葉家引継書」小田原市立図書館蔵)。延享三年(一七四六)三卿の一橋領(「一橋家領知高帳」一橋徳川家文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by