朝日日本歴史人物事典 「上村彦之丞」の解説
上村彦之丞
生年:嘉永2.5.1(1849.6.20)
明治大正期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士上村藤一の長男。慶応4(1868)年鳥羽伏見の戦に従軍,明治4(1871)年海軍兵学寮に入学。アメリカ渡航後少尉補に任官。西南戦争には官軍艦「雷電」で神戸の警護を担当。27年中佐に進み「秋津洲」艦長を務め日清戦争の黄海海戦で清艦を撃沈した。36年常備艦隊司令長官。37年日露戦争に第2艦隊司令長官としてロシア東洋艦隊の主力,ウラジオ艦隊の警備に当たったが虚を突かれ日本近海で陸軍輸送船,漁船などを拿捕・撃沈された。非難を浴びた上村は蔚山沖海戦でウラジオ艦隊を破り名誉を回復。38年5月日本海海戦には東郷連合艦隊に参加してバルチック艦隊を撃破し,功一級金鵄勲章を受章した。43年海軍大将に進み軍事参議官。海上勤務の生涯だったため「船乗り将軍」といわれた。<参考文献>小笠原長生編『類聚伝記大日本史』13巻,松下芳男『日本軍閥の興亡』
(影山好一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報