上村聖恵(読み)カミムラ サトエ

20世紀日本人名事典 「上村聖恵」の解説

上村 聖恵
カミムラ サトエ

昭和期の保健指導者 (社)日本看護協会第2副会長;日本看護連盟幹事。



生年
大正9(1920)年1月8日

没年
昭和62(1987)年7月20日

出生地
高知県長岡郡大豊町

主な受賞名〔年〕
厚生大臣賞,自治大臣賞,保健文化賞(第30回)〔昭和53年〕

経歴
昭和17年高知県保健婦の第一号として安芸町(現・安芸市)に駐在。52年春まで高知県に勤務し、医務課保健婦係長、同技監、保健婦専門学院長などを歴任。県を退職後は日本看護協会に転身し、保健婦職能理事などを務め、62年5月第2副会長に就任全国に先駆け全県下に保健婦駐在制の実現尽力、保健婦、看護婦の養成に貢献。この間、厚生、自治大臣賞、保健文化賞も受賞。57年から60年にかけて、琉球大講師、助教授として沖縄へ、56年にはエジプト政府の要請で現地の保健指導にも当たった。著書に「公衆衛生看護原理実際」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上村聖恵」の解説

上村聖恵 かみむら-さとえ

1920-1987 昭和時代の保健指導者。
大正9年生まれ。昭和17年高知県保健婦第1号として安芸(あき)町に駐在。全国に先がけ全県下保健婦駐在制の実現につとめた。保健婦専門学院長,日本看護協会第二副会長,琉球大助教授。昭和62年7月20日死去。67歳。高知県出身。著作に「公衆衛生看護の原理と実際」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例