日本歴史地名大系 「上柚木村」の解説 上柚木村かみゆぎむら 東京都:八王子市上柚木村[現在地名]八王子市上柚木多摩川の支流大栗(おおくり)川上流部の両岸にわたって立地。下柚木村とは村域が入組み、相互に飛地も多い。北から西にかけて丸(まる)山・本(もと)山・長窪(ながくぼ)山が連なり、南に向(むこう)山があった。相州津久井(つくい)(現神奈川県津久井町)から江戸に通う往還が南の小山(おやま)村(現町田市)から入り、大沢(おおさわ)村境を通って下柚木村へと通じていた。中世には下柚木とともに船木田(ふなきた)庄に属し由木(ゆぎ)郷とよばれた。慶長四年(一五九九)五月の廊之坊諸国旦那帳(熊野那智大社文書)に「ゆき七郷」とある。田園簿に村名がみえ、田一二七石余・畑六五石余で幕府領。元禄郷帳では高四一二石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では旗本曾我領二七八石余、別に同領一三四石余とあり、それぞれに名主が置かれていた。 上柚木村かみゆのきむら 山梨県:東山梨郡三富村上柚木村[現在地名]三富村上柚木、塩山市小屋敷(おやしき) 滑沢(なめざわ)秩父(ちちぶ)山地の笛吹川渓谷左岸に位置し、秩父往還が村中を通る。南は下柚木村(現塩山市)、北は笛吹川に架かる一(いち)の橋を越えて下荻原(しもおぎはら)村。永禄六年(一五六三)一一月吉日の恵林寺領検地日記と同年一〇月吉日の恵林寺領穀米并公事諸納物帳に「ゆの木」「柚木」などとみえるほか、「塩原之源七」や同地の与五郎・神七・源五郎ら百姓名請人の名をみることができる。また「馬籠之荻原源七」「まこめの左衛門五郎」などの記載がみられるほか、同地の百姓源五郎・甚七・彦右衛門ならびに新五郎らの名も記され、さらに「いなこ沢之清六」のほか同地の百姓新次郎らの名も記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by