上横田村(読み)かみよこたむら

日本歴史地名大系 「上横田村」の解説

上横田村
かみよこたむら

[現在地名]宇都宮市上横田町・城南じようなん一―三丁目・台新田だいしんでん一丁目・横田新町よこたしんまち今宮いまみや一―四丁目

北は東川田ひがしかわだ村、東は川を隔てて屋板やいた村。西の台地上を日光街道南北に通る。屋板村や台新田が新田開発されて独立したため飛地が多く、地形は複雑である。宇都宮五代城主頼綱の次男頼業が河内かわち横田郷築城分家し、横田氏を号したという。元和七年(一六二一)から寛文八年(一六六八)までの年貢割付状(稲見忠之文書)によれば、元和七年には高一千一六三石のうち川欠け一〇石余・田方八八九石余・畑方二六二石余で、これをうき衆組と片岡源太左衛門組に分けている。


上横田村
かみよこたむら

[現在地名]小川町上横田

下横田村の北西市野いちの川の右岸に位置し、松山まつやま領に属した(風土記稿)。元和三年(一六一七)五月、川窪与左衛門尉(信俊)は徳川氏から「横田郷内」で五四〇石余を与えられている。「寛政重修諸家譜」などによると川窪信俊は武田信玄の甥にあたり、天正一九年(一五九一)比企賀美かみ両郡内で采地を与えられたという。信俊の跡を信雄・信貞と継いだが、信貞の代の寛文四年(一六六四)旧姓に復して武田を名乗り、元禄一〇年(一六九七)采地を丹波国に移されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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