上河淇水(読み)うえかわ・きすい

朝日日本歴史人物事典 「上河淇水」の解説

上河淇水

没年:文化14.10.4(1817.11.12)
生年:寛延1.11.9(1748.12.28)
江戸中・後期心学者近江国神崎郡今田居(滋賀県八日市市)の志賀盛言の4男。名は正揚,通称愿蔵,字は子鷹,号は淇水,東海。20歳のとき京都に出て手島堵庵の門に入り,その養子となり分家上河家を継ぐ。寛政3(1791)年義兄手島和庵を継承し,京都の明倫舎第3世舎主となり,全国の石門心学運動を主宰する。自ら諸国に赴き講話し門弟の指導に当たり,また心学講舎の設立や心学教義の確立に尽力する。<著作>『心学承伝之図』,『聖賢証語国字解』<参考文献>石川謙『石門心学の研究』,同『近世日本社会教育史の研究』

(渡辺弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上河淇水」の意味・わかりやすい解説

上河淇水
うえかわきすい

[生]寛延1(1748).11.9. 近江
[没]文化14(1817).10.4. 京都
江戸時代後期の心学者。名は正揚,通称は愿蔵。心学者手島堵庵に学び,師の没後明倫舎3世舎主となる。石田梅岩によって創始された心学は,教化活動の進展とともに思想体系の整備充実が必要になったが,そのなかで淇水は朱子学によって心学の理論づけを行なった。著書に『四書類凾』 (1780) ,『心学承伝之図』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上河淇水」の解説

上河淇水 うえかわ-きすい

1748-1817 江戸時代後期の心学者。
寛延元年11月9日生まれ。手島堵庵(とあん)にまなび,のちその養子となり分家の上河の姓を名のる。寛政3年明倫舎3代をつぎ,全国に教えをひろめた。文化14年10月4日死去。70歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身本姓は志賀。名は正揚,義言。字(あざな)は子鷹。通称は愿蔵。別号に東海,柿園。著作に「聖賢証語国字解」「心学承伝之図」など。

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367日誕生日大事典 「上河淇水」の解説

上河淇水 (うえかわきすい)

生年月日:1748年11月9日
江戸時代中期;後期の心学者
1817年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上河淇水の言及

【石門心学】より

…堺で道話を興行したときは町奉行をはじめ3000人の聴衆が集まった。そのころ京都に上河淇水(うえかわきすい)(1748‐1817)があり,門下の統制を強化することに努め,とくに心学思想の朱子学化を図った。また,異色の心学者として鎌田柳泓(りゆうおう)(1754‐1821)がおり,儒仏老の三教の一致を説くとともに,朱子学も陽明学もその窮極においては一致すると主張した。…

※「上河淇水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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