朝日日本歴史人物事典 「上河淇水」の解説
上河淇水
生年:寛延1.11.9(1748.12.28)
江戸中・後期の心学者。近江国神崎郡今田居(滋賀県八日市市)の志賀盛言の4男。名は正揚,通称愿蔵,字は子鷹,号は淇水,東海。20歳のとき京都に出て手島堵庵の門に入り,その養子となり分家上河家を継ぐ。寛政3(1791)年義兄手島和庵を継承し,京都の明倫舎第3世舎主となり,全国の石門心学運動を主宰する。自ら諸国に赴き講話し門弟の指導に当たり,また心学講舎の設立や心学教義の確立に尽力する。<著作>『心学承伝之図』,『聖賢証語国字解』<参考文献>石川謙『石門心学の研究』,同『近世日本社会教育史の研究』
(渡辺弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報