茨城県北東部、那珂郡(なかぐん)にある村。1955年(昭和30)村松、石神(いしがみ)の2村が合併して成立した。那珂台地と久慈(くじ)川沿岸低地および村松海岸砂丘よりなる。JR常磐(じょうばん)線、国道6号、245号、常磐自動車道が通じる。中世の佐竹氏の支配を経て、近世、水戸藩領となり、磐城相馬(いわきそうま)街道(国道6号)の宿場があった。サツマイモ、ハクサイ、スギ苗、ナシ、ブドウなどの栽培がおもだが、1957年7月の日本原子力研究所東海研究所設置以来、原子力関係など非鉄金属工業が増加した。同年8月27日、日本原子力研究所の第1号炉が日本で最初の運転を始め(臨界)、世界中に村名を知られるに至った。さらに、1966年日本原子力発電(株)の東海発電所が営業運転を開始、1967年動力炉・核燃料開発事業団(略称動燃、1998年核燃料サイクル開発機構に改組)の東海事業所が発足するなど、砂丘を開いて原子力、放射線研究施設ができた。これらの施設建設に伴い、民間のエネルギー関連企業や研究施設も立地するようになり、わが国の原子力研究の中心地となった。しかし、1999年(平成11)9月、村内の核燃料加工施設で臨界被曝(ひばく)事故が発生し、付近の住民が一時避難するなどの事態となり、原子力関連施設の安全が確保されていないことが明らかとなった。2005年10月、日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構の統合により、独立行政法人日本原子力研究開発機構が発足し、その本部が置かれている。
文化財では、伊勢(いせ)神宮の分霊を祀(まつ)った村松大神宮、数え年13歳児の厄払いで知られる虚空蔵堂(こくうぞうどう)がある。砂丘は水戸八景の一つ、「村松晴嵐(むらまつのせいらん)」の景勝地。古墳群や貝塚遺跡も多い。面積38.00平方キロメートル、人口3万7891(2020)。
[櫻井明俊]
『『東海村誌』(1958・東海村)』
愛知県知多半島西岸にある工業都市。1969年(昭和44)上野(うえの)、横須賀(よこすか)の2町が合併して市制施行。名古屋鉄道常滑(とこなめ)線、河和(こうわ)線が通じる。また、国道155号、247号、302号、伊勢湾岸(いせわんがん)自動車道、知多半島道路が通じる。大府、東海の各インターチェンジ(伊勢湾自動車道)があり、大府東海インターチェンジ(知多半島道路)が近い。地形は東側が丘陵、西側は海岸線に沿って沖積低地が広がる。横須賀の海岸は遠浅で馬走瀬(まはせ)ヶ浦とよばれ、漁業、とくにノリ養殖が盛んであった。1960年に伊勢湾台風の復興事業と並行して埋立てが始まり、重化学工業群が立地し、名古屋南部臨海工業地帯を形成している。横須賀には尾張(おわり)2代藩主徳川光友(みつとも)のつくった横須賀御殿もあり、当時、海の湯治場として栄えた。上野地区は尾張藩校明倫堂督学であった細井平洲(へいしゅう)の生地で、平洲ゆかりの遺品を展示する平洲記念館がある。東側の丘陵上ではミカン・野菜栽培が行われ、海岸の砂丘地帯ではタマネギ、トマトなどが生産される。そのほか、フキや洋ラン栽培も盛んである。面積43.43平方キロメートル(境界一部未定)、人口11万3787(2020)。
[伊藤郷平]
『『東海市史』全10冊(1971~1993・東海市)』
愛知県西部の臨海工業都市。1969年横須賀町と上野町が合体,市制。人口10万7690(2010)。知多半島の北西端に位置し,北は名古屋市に接する。旧横須賀町の伊勢湾に面する海岸は古くから漁業の盛んな地であったが,1666年(寛文6)尾張藩2代藩主徳川光友が潮湯治のため横須賀御殿を建設したのを契機に町屋が形成された。1715年(正徳5)御殿は取り壊されたが,85年(天明5)には知多郡74ヵ村を統轄する横須賀代官所が置かれ,郡北西部の行政中心として発展した。1959年の伊勢湾台風の災害復興と並行して浅海面の埋立てが始まり,東海製鉄(現,新日本製鉄)名古屋製鉄所をはじめとした重化学コンビナートの用地となり,名古屋南部臨海工業地域として発展した。漁業はほとんど消滅,農業も年々縮小,兼業化しているが,海岸の砂丘地域や丘陵地で野菜栽培が行われ,特産品としてフキがある。洋ラン栽培にも力を入れ〈鉄とランのまち〉で活性化が進められている。江戸時代中期の儒者細井平洲の出生地としても知られる。名鉄常滑線・河和線,伊勢湾岸自動車道,国道247号線が通じる。
執筆者:溝口 常俊
茨城県東部,那珂郡の村。人口3万7438(2010)。久慈川河口南岸にあり,太平洋に面する。村域の大部分は常陸台地上にあり,海岸沿いに砂丘が発達する。かつては純農村であったが,1956年日本原子力研究所の東海研究所建設が始まり,動力炉・核燃料開発事業団東海事業所(両者は統合により,現在独立行政法人の日本原子力研究開発機構東海研究開発センターとなっている),日本原子力発電東海発電所などが次々に設置され,原子力施設を中心にした地域整備が進められた。これに関連して民間の原子力産業事業所も進出し,日本を代表する原子力研究センターとなっている。南部の真崎浦は幕末から始まって1938年に完成した干拓地。村松には十三詣の行事で知られる真言宗豊山派の虚空蔵堂がある。JR常磐線,国道6号線が通じる。
執筆者:千葉 立也
韓国,江原道東海岸の都市。人口9万5485(1995)。〈東海〉は日本海をさす朝鮮での呼称でもある。韓国最大の炭鉱地帯,太白山脈中の太白山地域を背景に,石炭,セメント,鉄材などの諸工業が発達し,1980年に市に昇格した。南に隣接する三陟(さんちよく)とともに江原道随一の工業地帯となっており,自然資源の豊富な太白山地開発の拠点である。市域は大きく北坪と墨湖の2地区に分かれ,前者は太白山脈以西と三陟,三和など沿岸工業地帯や太白山地をつなぐ要地であり,墨湖は日本海漁業や海外貿易の基地である墨湖港を中心としている。嶺東高速道の開通(1976)により首都ソウルとの距離が3時間余りに短縮され,五十川峡谷や北坪海水浴場などが観光地となっている。
執筆者:谷浦 孝雄
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…さらに《続日本紀》慶雲1年(704)7月の条にみえる,この月に帰朝した遣唐使の粟田朝臣真人に関する旅行体験談には,〈海東〉とか〈大倭国〉とか〈君子国〉とかの語がちりばめられている。 平安時代に入ってから用いられた〈扶桑(ふそう)〉とか〈夫木(ふぼく)〉とかの日本国の別称も,もともと,中国古代神話において,東海のかなた太陽の出る所にあると信じられた大きな神木をさし,またその地をさしていた。中世から近世にかけて,日本の知識人は自国の異称に〈東海〉〈東洋〉〈東瀛(とうえい)〉〈東鯷(とうてい)〉などの語をそのまま用いたが,これらの異称は,いずれも東シナ海の東方に存在する島国という意味である。…
…中国では三大沿海の一つと称される。山東半島と遼東半島をつなぐ線より西は渤海といい,南は長江(揚子江)の河口と済州島を結ぶ線で東海と区切られる。黄河や海河,淮河(わいが)などの排出する泥砂により海面が黄色くみえ,この名がある。…
…
【自然】
[地形の特徴]
朝鮮は地形上,東・西朝鮮湾頭をつないだ北部と南部の二つに大きく区分できる。北部は平北~蓋馬(かいま)地塊であり,日本海(朝鮮では東海という)に沿って北東から南西方向に走る咸鏡山脈を頂点に北西方向に緩傾斜の斜面が広く分布している。この地塊は鴨緑江・豆満(とまん)江対岸の長白山脈と一体のもので,本質的には半島部ではなく大陸に属する。…
…北は長江(揚子江)河口と済州島を結ぶ線,南は広東北部の南澳島(なんおうとう)と台湾南端を結ぶ線で画される。中国では,東海と呼ばれ,黄海,南海(南シナ海)と並んで三大辺縁海の一つとされる。面積は約75万km2。…
※「東海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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