日本歴史地名大系 「上田名村」の解説 上田名村うわだなむら 石川県:河北郡宇ノ気町上田名村[現在地名]宇ノ気町上田名谷(たに)村の西、宇ノ気川上流と同川に合流する院内(いんない)川による沖積地に面する丘陵西斜面に位置。院内川は御滝(おたき)川(寺内文書)・尾屋(おや)川(河北郡誌)ともいう。中世は金津(かなつ)庄の内。正安二年(一三〇〇)三月二三日の関東下知状(賀茂別雷神社文書)に北英田(きたあがた)保との境界係争地としてみえる「大矢東山」は、当地内とみられる。延徳三年(一四九一)九月に固定化したものを再編した天文六年(一五三七)正月の金津庄上棚村名別公事銭等納帳(同文書)によれば、宮丸・経同(きようどう)・真守(さねもり)・入道丸・高弘(たかひろ)・光丸・次郎丸・正恒(まさつね)・末弘(すえひろ)・末延(すえのぶ)の一〇の本名と、千秋(せんしゆ)・新八・地蔵・成道・忍性・安全・清太・十楽・泉作・講師の一〇脇名からなる。光丸名は年未詳八月二日の書状(同文書)で「光丸弥介政次」を名乗る百姓(村落土豪)の本拠地であろう。本名の大部分は炭・柿・畳の納入が課されている。天文五年の金津庄谷村名別公事銭等納帳(同文書)の脇名友房の付箋に「ゐん内村ふん」、同七―八年分の金津村算用状(同文書)の重通名にみえる院内孫五郎は院内川にちなんだものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by