上田尻村(読み)かみたじりむら

日本歴史地名大系 「上田尻村」の解説

上田尻村
かみたじりむら

[現在地名]能勢町上田尻

山内やまうち村の南、田尻川の中流域に位置する。川沿いの道は、能勢街道に通じる。東は倉垣くらがき村・地黄じおう村。当地には古墳群や遺跡が数多く分布している。円山まるやま古墳・石原いしはら古墳は六世紀後半の築造と推定され、三宅みやけ遺跡からは須恵器土師器が、稲荷社いなりしや遺跡からは弥生後期から室町時代にわたる各期の土器が出ている。古代・中世には田尻庄として推移。天正一六年(一五八八)七月五日の島津義久宛の豊臣秀吉朱印状(島津家文書)に「田尻村」として八〇一石余が記される。文禄三年(一五九四)一〇月一七日の島津義弘宛豊臣秀吉朱印状(同文書)にも「一、先高八百壱石弐斗五升 (能勢)東郷田尻村 出米六百四拾八石七斗」とある。


上田尻村
かみたじりむら

[現在地名]柏崎市上田尻

東は安田やすだ村、西は茨目いばらめ村、南は佐藤池さとがいけ新田、北は下田尻村。村の起りは承元三年(一二〇九)と伝える(白川風土記)。寛政一〇年(一七九八)の村々庄屋勤申年数書上帳(酒井稔氏蔵)には、当村庄屋前沢勇助家先祖七郎が承元四年に笠島かさしまより移り住んだとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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