上白銀町(読み)かみしろがねまち

日本歴史地名大系 「上白銀町」の解説

上白銀町
かみしろがねまち

[現在地名]姫路白銀町・南町みなみまち

姫路城南の外曲輪に位置する町人町西紺屋にしこんや町の西にある。町名は吹銀所の白銀台から名づけられたとする説(大正八年刊「姫路市史」)、銀子屋があったとする説がある。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。元和(一六一五―二四)頃の姫路城下図(多木文化振興会蔵)に銀子屋町とある。寛永八年(一六三一)の那波宗顕譲状(前川家蔵那波文書)に「銀丁」とあるのは当町のことか。


上白銀町
かみしろがねちよう

[現在地名]弘前市上白銀町

三の丸南側部分の堀端沿いにあり、馬屋まや町へのしん坂に至る東西の道路の南側部分。

正保三年(一六四六)津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋として町割されている。慶安二年(一六四九)弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)では「さやし町」と記され、鞘師一一軒・飾屋一軒・武家一軒がある。同年のてら町大火後、鞘師集団が上鞘師かみさやし町・下鞘師しもさやし町へ移転し、武家町に変更された。寛文一三年(一六七三)弘前中惣屋敷絵図(同館蔵)では町名の記載がなく、八軒の武家屋敷重臣津軽玄蕃の下屋敷がある。

国日記天和三年(一六八三)二月二日条によれば、亀甲かめのこう町とともに、町内は御用地に召上げられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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