日本歴史地名大系 「上矢倉村」の解説
上矢倉村
かみやぐらむら
[現在地名]彦根市鳥居本町
鳥居本村の北に続き、北は下矢倉村。鳥居本宿を構成する一村で、中山道沿いに街村を形成。当村北端の矢倉川石橋を渡った地点から北国街道が西方へ分岐し、米原まで二里九町(分間延絵図)。地名は、交通の要地として矢倉が設けられていたことによるという(坂田郡志)。慶長高辻帳に村名がみえ高二三七石余。江戸時代を通じて彦根藩領。元禄八年大洞弁天寄進帳によると人数一七九、うち寺社方六。鳥居本宿の名物として著名な赤玉神教丸は当村の有川市郎兵衛方で製造販売されていた(→鳥居本宿)。最盛期には職人・販売人・番頭を合せると八〇人もが従事していたという(彦根市史)。近江名所図会に描かれている二階建ての店舗は現在も残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報