日本歴史地名大系 「上種村」の解説 上種村かみたねむら 島根県:益田市上種村[現在地名]益田市種村町(たねむらちよう)沖田(おきた)川上流域に位置し、東は千振(ちぶり)村、西は下種村、北は後谷(うしろだに)村。村の中央を東から西に沖田川が流れ、本郷(もとごう)・中郷の平地を作る。塔(とう)ノ尾(お)の山頂に高さ三メートル、直径一二メートルの未発掘の円墳がある。塔ノ尾は峠の尾(たおのお)で山越しの峠道をさしたもの。益田兼時の弟兼政は東仙道(ひがしせんどう)・北仙道と種の地頭となり、多根と姓を改め、下種村に高倉山(たかくらやま)城を築いた。 上種村かみだねむら 鳥取県:東伯郡大栄町上種村[現在地名]大栄町上種下種村の南西に位置する。集落の西で由良(ゆら)川(西高尾川)と支流の種川が合流。拝領高は二六一石余。藪役銀六〇匁を課されていた(藩史)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高二八五石、竈数一六。幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高二八二石余、竈数二五。タタラがあり、当地で精製された鉄はおもに倉吉鍛冶(かじ)町で作られた千刃の原料になったという。寛政三年(一七九一)に当村の新助が鉄山の請山を願出て許されており、運上銀四〇〇目を負担している(在方諸事控)。北部、下種にかけての一帯は鉄山谷(てつざんだに)とよばれ、昭和四七年(一九七二)の調査で小規模のタタラ跡が発掘されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by