弥栄神社(読み)やさかじんじや

日本歴史地名大系 「弥栄神社」の解説

弥栄神社
やさかじんじや

[現在地名]津和野町後田

じよう山の北東麓、藩邸跡の北側、津和野川左岸に鎮座。旧郷社。祭神は須佐之男命ほか一一柱。もと祇園社と称したが、慶応三年(一八六七)に弥栄神社と改称。創建年は未詳だが、貞観一八年(八七六)勧請、正長元年(一四二八)吉見三河守弘信が三本松さんぼんまつ城の鬼門鎮護のため滝の本たきのもとの地から大谷の下おおたにのしたの原(現在地)に移転させたという説(社伝)、正長元年吉見弘信が滝本たきもと祇園社を造営し、永享九年(一四三七)に現在地に遷したという説(吉見記)、享禄元年(一五二八)吉見正頼が京都祇園社を再勧請したという説(「社家桑原家由緒書控」など)などがある。

弥栄神社
やさかじんじや

[現在地名]大分市上野

松坂まつざか神社の西に鎮座。祭神は素盞嗚尊・大己貴命・稲田姫命、旧県社で、もとは祇園社と称した。「雉城雑誌」は、宝亀年間(七七〇―七八一)諸国に疫神を祀らせた際、岩屋いわや寺境内に創建したのが始まりで、建久年間(一一九〇―九九)悪疫が広がったので大友能直が京都祇園社の分霊を勧請して社を再営、神領を寄進したとする。

天文一九年(一五五〇)二月二一日の大友義鎮起請文(志賀文書)に「祇薗牛頭天王」とみえる。大友義統も当社を崇敬し、年未詳六月一二日の義統判物(日野文書)に「府内屋敷 祇園御神領分之儀」とあり、町人を移して屋敷料で祇園社頭の上葺をさせている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の弥栄神社の言及

【津和野[町]】より

…津和野駅北方の乙女峠にあるマリア聖堂は,1868年(明治1)から73年まで明治新政府によって配流・迫害された長崎浦上のキリシタンを記念して建てられたものである。また京都八坂神社を勧請(かんじよう)した弥栄(やさか)神社(祇園社)には鷺舞が伝わり,7月20日と27日の例祭に奉納される。【池田 善昭】
[津和野城下]
 石見国南西端の津和野盆地の中心に位置する城下町。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」